教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 793回  子どもを育てる先生 子どもを管理する先生

教育界がIT教育に傾いていくなかで、一方的な教育方法が多く話題になっています。
先生の夏休みの職員研修の多くは、この課題を扱っているようです。
しかしながら、教育の新しい方向にだけ目がいくと大切なものを失ってしまいます。


それは、教育機器による指導、専科担任による指導などが多くなっても昔から変わらぬ大切なことがあります。
教育は「人」が「人」に向かって営まれることです。
そんなのわかりきっていることだと嘲笑されそうですね。
でも、どうでしょう。
教育は「私と言う人」が子どもたちに向かって意図的に実践している、その「私の在り方」を問題にされる機会がどれくらいあるのでしょうか。
たとえば、子どもを叱ったとき、その叱り方、言葉を問題にしますが、先生としてのふだんからのその子どもに対する見方、考え方を振り返ることはあるでしょうか。


子どもの指導がうまくいかない時、子どもがうまく育たない時、指導技術、取り巻く環境、子ども自身の能力の問題として考えることはないですか。
だれにでもあることです。
この学校は、前の学校と生活環境が違うから、今の子どもの実態は仕方がないと弁解します。
そうなんだすねえ、教育がうまくいかない原因を「私自身の在り方」のなかに見つけることはむずかしいですね。
無意識の内に避けていることもあります。


だれにでもあることです。
いい先生になりたいという思いが、私自身の在り方、問題点を覆い隠してしまいます。
誰だって、子どもの育ち方と私自身の在り方とつなげたくないことがあります。


しかし、教育は昔から人によって人を育ててきました。
ロボットが人を育ててきたのではありません。
今では、教育機器というロボットが関与するようになってきましたが・・・。


先生が教師として私自身を振り返る一つの視点として
  子どもを育てる先生 子どもを管理する先生という視点があります。
子どもを管理するというのは、「言葉に偏って子どもを教育する」ことです。


どれだけの言葉を子どもに対して使っているでしょうか。
要求 命令 指示 強制 禁止
非難 叱責
忠告 説教
きめつけ 批判 評価
質問 尋問
いやみ 皮肉
同情 慰め 励まし
おだて 追従
称賛 是認
否定 否認
軽蔑 無視
逃避 言い逃れ 弁解 などなど
誰でも口にだしている言葉です。
言ってはならないのではなく、意識してできるだけ少なくしようということです。


人が人に心を伝えられるのは
  表情55%  言葉調子 38%  言葉の内容 7㌫ だそうです。


自己反省する先生だけが子どもを導くことができるように思われます。
偉そうなことは言えませんが、私自身にとっては難しいことでした。
教育は、決してお気楽なものではないです。
悩まれる先生こそ、子どもの前に立てる先生だと思います。

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