教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 790回 学校教育目標って 先生のための目標でしょ

学校教育目標は、どの学校にもあり、、校長室に額縁に入れて目立つようになっています。
外来者を校長室に招き入れた時に、学校の理念がわかるようにしています。
私の学校は、このような方針に立って子どもを教育、指導していることを伝えています。
学校のお題目として、あまり大きく修正されることなく存在し続ける教育目標。
その学校の先生は、その目標をどれだけ吟味し、自分のこととして指導実践されているのでしょうか。


ちなみに、学校教育目標のベスト・ファイブは、
小学校 ①「心の教育 豊かな心」、②「健 康 体力」、③「思いやり」、④「自ら学ぶ力 自己学習力」、⑤「生きる力」、


中学校 ①「心の教育 豊かな心」、②「健康 体力」、③「自ら学ぶ力 自己 学習力」、④「自立 自主 主体性」、⑤「思いやり」。
小・中学校ともに、「心」→「体」→「学び」の順になっ ている点は共通しています。
これらの目標は、すべて子どもを指導するための目標です。
子ども主体の指導目標です。


私は、ここに常に疑問をもってきたことがあります。
これらの教育目標は、先生の目標ではないかということです。
学校は、子ども主体と言われますが、それは、先生の姿勢、指導の在り方にかかっています。
先生が主体的になれば、子どもたちも自ずから主体的になります。


豊かな心をもつ先生。
健康を維持し体力づくりを心がける先生。
思いやりのある先生。
自立して 自主的で 主体性のある先生


特に、四番目の目標です。
自ら学ぶ力、自己学習力のある先生。
自ら学び続ける先生 自分の課題をもって学び続ける先生ですね。
授業を実践するときに、指導書、ネット資料にすぐに飛びつくことが主体性でしょうか。(考えることなしにすぐに答えを求めて検索するという意味)


教科書を前にして、教材そのものを自力で研究する。
その教材は、どのような学問的価値があるのか。
その教材のどこに焦点をあてて、どのような力を身につけさせるか。


指導の流れを自分で考える前に、試行錯誤する前に、指導案をコピーして、そのまま実践するのは「自ら学び続ける先生」ではありません。
子どもには「もっと考えなさい」「もっと調べなさい」と指示しながら先生自身は、安易な方法で教材研究や授業指導法を求めていないでしょうか。


教えるために、先生が子どもの何倍もの時間を費やして研究するのが先生の主体性です。
ある時、外部の先生ではない方が言われたことがあります。
「先生は楽ですね。教科書の指導書、ネツトの指導マニュアルがあるので、そのまま実行することもできますね」
教育外の人々からの言葉でしたが納得できるものがありました。


どのような仕事にもマニュアルがあります。
そのマニュアルにしたがえば、誰でも同じことができます。
しかし、教育はマニュアルどおりにいかないのが教育、特に授業実践です。
教師が学ぶことに主体性を持つときのみ、子ども一人一人を主体的に学ばせることができるはずです。


昔から「同行教育」という言葉があります。
先生も子どもも同じように行じる(生きる)ということです。

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