教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 789回 学校で一番 きびしい先生をめざして

手にやさしい 肌にやさしい 胃にやさしい 自然にやさしい・・・。
世の中「やさしい」という言葉にあふれています。


教育においても、このやさしさに左右されているところがあります。
子どもたちは、やさしい先生を求めています。
その内容は、叱らない先生、うるさく言わない先生、宿題を多くださない先生・・・。


先生が子どもたちに対して、やさしさをもって接することは大切です。
しかし、そのやさしさがみかけのやさしさになっていませんか。
難しい問題になると、できなくてもいいよと簡単にあきらめさせる先生。
質問して子どもがわからなかったら、すぐに答えをだして子どもたちを安心させる先生。
体育のとき、跳び箱が跳べなかったら、「いいよ、できる範囲でいいよ」と助言する先生。


これらは、もしかしたら、子どもたちの可能性を奪っているかもしれません。
それが、子どもにとって、本当にやさしいことなのでしょうか。
学びにあえて壁をつくり、子どもたちにそれを乗り越えさせようとする「厳しさ」が必要です。
やさしさだけで、子どもたちの学びを伸ばすことはむずかしいです。


学びを教えることは、学問への姿勢を養います。
きびしさが主体でなれればならないと考えます。
ただし、うわべだけのきびしさではなく、教育の本質に基づいたものでなければなりません。
やさしさは、子どものあるがままを無条件に受け入れます。
きびしさは子どもの可能性をどこまでも信じます

先生の教育実践は、「やさしさ」と「きびしさ」の間にあります。
だから、学校で一番やさしい先生をめざします。
学校で一番きびしい先生をめざします。

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