教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 764回 保護者は 子どもの後ろからついてくる

学校は子どもたちに学力と人間的な基盤を育てる場所である。
ところが、地域や保護者の思いにを気にしながら教育が実施されている。
教育に学校独自の自由さと豪放さが薄らいでいる。


問題が起きると、ほとんどが保護者対策。
ともに協力関係を築かなければならない保護者を対立関係としてとらえる。
問題がおきた時の学校の対応。
言い訳の多いこと。
どのように指導してそのようなことが起きたのかは伝えない。
ひたすら頭を下げる。


ある学校では、保護者と面談するときは、担任だけで会わないで、もう一人先生が同席するようにという指示が出されている。
あとで、証人となるためである。
保護者が言った言わないと、後でもめないためである。
保護者と担任の二人だけの話し合いをはじめから信用していない。


保護者は、担任だから話せることもある。
逆に、担任だから話せないこともある。
その場合は、管理職と面談すればいい。
担任一人にすべてを対応させ、担任に責任を押しつけている学校もある。


学校長は、出張でかなりの時間学校を開ける。
先生が子どもたちにどのように指導しているかなど、ほとんどわからない。
私の勤務校の管理職は恵まれていた。
各教室をまわって学級の様子を把握する。
ときどき、授業についてのアドバイスもいただいた。


報道等で問題がおきると、決まって管理職は「聞いていませんでした」という答えがかえってくる。
聞いていない以前に、見ていなかったというほうが正しい。
学校のことを知らなさすぎる。


学校は、保護者の責任追及を恐れて、責任問題が発生しないようにする。
いじめはその最たるものである。
学校の中でいじめに気付かないことはない。
確かに、潜在的に進行していることがある。(ネットによる誹謗中傷)
それでも、生徒や子どもを日々見守っておれば、なんとなく感じるものがある。


学校の核は「学び」。
学びがいのある学校であってほしい。
それをめざして、がんばっている学校もある。
孤軍奮闘しておられる先生もいる。


そのためには、保護者の協力が不可欠。
ともに、同じ方向をめざして歩む必要がある。
保護者との信頼関係は、子どもを通して得られる。
保護者は、わが子の様子を通して先生の姿を見る。
先生は、目の前の子どもを通り越して保護者と話さない。
子どもを無視して一般論で話し合わない。
両者が子どもの事実をもとにして語らい合う。
子どもが先生を信頼すれば、保護者は後からついてくる。

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