教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 77回 鍛えるということ

運動会や音楽会で成功した時、先生や子どもたちは、その喜びを分かち合います。「ここまで、みんなよくがんばったね」という先生の子どもへのねぎらいの言葉。
諸手をあげて喜ぶ姿勢。


流行っているお店が急に勢いをなくし客足がへっていくことがあります。最も多く客が出入りしている時がその店の頂点ですが、同時に下りの最初の一歩なのです。
登山で山頂に到達したということは、その跡の道のりは下りのみです。
最高は下り坂の始まりです。


学級が今最高ですね、と手放しで喜んでいるとき、すでに下り坂をかけおりています。
あの子は、とても成長したなあと喜ぶとき、その子は、一年間そのままか、下っていくことがあります。


かつて、朝のテレビで、あるお菓子会社の様子が放映されていました。その時に、社長が「お菓子も人気のある時に、より改良を加えなければならない」という趣旨のことを話されていました。
まさに、学級も同じです。


運動会や音楽会の時に最高であったということは、子どもたちの意欲、気力が全開であったということです。
それでは、その翌日、次の日からどうするのですか。
子どもたちの気力は一気にダウンしていきます。
学級崩壊があるのもこのときです。
気力の山を上り切ったとき、子どもたちが次の目標とする山を視野に入れないかぎり、学級も子どもたちも精神的に衰退していきます。


「鍛える」とは、この最高の状態に浸ることなく、その世界を壊して次の目標に進めることです。
学級づくりは、作り上げたもの、出来上がったものを壊していく営みともいえます。
先生も子どもたちも、より高い目標を設定して、前の活動で得た力を使えるような活動を行います。


子どもの立場で言うならば、今まで学んだことを生かして、さらに、高いスキルを身につけていきます。
きびしさの向こうにある喜びに気づいたとき、子どもたちは自分から苦しみに立ち向かっていきます。スポーツ活動の多くはそうですね。
私は、子どもたちに「努力のトンネル」という言葉をしばしば使いました。
「今、努力のトンネルの中にいるね。やがて、出口が見える時がくるはずです」
そして、そのトンネルを通り抜けることで、自分が、学級が成長していることを子どもたち一人ひとりが実感できるようにします。

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