教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 739回 先生としての指導力がないと 嘆く必要はない

学級担任としての願い、先生に共通して言えることは二つである。


一つ目は、学力保障。
子どもたちの学力はすべて同じではない。
知識・理解の程度以前に、学習意欲の差が大きい。
すべての子どもたちに同じ量の知識を理解させることはできない。
各教科において、能力差があるのは当たり前。


しかし、学力保障において、基礎学力の充実は必須である。
ただ、私は、基礎学力とは、学習意欲だと考えてきた。
学習意欲は、車のエンジン、動力機関である。
エンジンに力があれば、どこにでも行ける。
授業は学習意欲を育てることが大切である。
意欲さえ大きくなれば、子どもは主体的に学び、自分の世界を広げる。。


二つ目は、学級社会が正常に発展すること。
子どもの成長にとって、集団社会、とりわけ学級社会は影響力が大きい。
明るく支え合う空気を育てる。
当番活動など共同的に楽しく活動する学級。
目標に向かって、子どもたちが力を合わせて協同的に学び合える学級。


もう少し具体的に書くと
子どもたち一人一人の見方、考え方を深めることのできる学級。
人間関係において、望ましい行為をしようとする学級。


そのためには、知識の習得とともに、活発な思考力、豊かな感性の育成をめざす。
さらに、それを助長するための学級風土を育てる。


学級風土は、二つのことにかかっている。
一つめは、学級のなかで安心して生活できること、
その条件は「お互いに認め合う」集団の空気を育てること。
二つ目は「支え合える集団づくり」である。
「認め合う」「支え合う」の二点に絞られる。
私は、これに加えて「競いあう」を入れるが今回は省略。


先生は、子どもや学級に対する願いや目標をもつことで自分自身を牽引する。
しかしながら、目の前の子どもたちを眺めると、成育歴、成育環境の違いが端的に表れている。
個性や能力の発達段階は、大きな違いがある。


したがって、目の前の子どもたちの能力差、環境差、個性を認めるところから始めることになる。
子ども一人ひとりの生の姿を容認できるかどうかが先生としての豊かさではないか。


今日の学級格差は、厳しいようであるが、先生の指導性の相違である。
担任としての願いは共通であっても、その願いを実現させるための日々の
実践力の違いである。


そうはいっても、先生によって指導する能力が違うのでは仕方がないという考えも聞く。
先生の能力は、授業を通して、年を追うごとに高まっていく。
先生の意欲、目標に向かって自分を押し出す意欲さえあればいいと思う。


繰り返すが、先生の能力は、子どもへの実践によって身につくものである。
自分は先生としての力がないと嘆く必要はない。
始まりは、どの先生も同じだから。

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