教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 740回 授業において子どもはゲスト、お客様

授業の本質は、いうまでもなく文化遺産の伝達です。
したがって、伝達が可能であれば、いかなる伝達方法をとってもよいわけです。
たとえば、先生の一方的講義型の授業であっても、すべての子どもに知的な感動を呼び起こしたり、技能習得を効果的にできたりするなら、それは見事な授業だと賞賛すべきことではないでしょうか。


しかし、現実はどうでしょうか。
先生の説明を一言半句も聞き漏らしてはならないという構えがすべての子どもたちにできていないますか。
チャイムの合図で、席について、本時の学習に取り組んでいますか。
全員の子どもをそのように育てるのは、正直なところ難しいですね。
しかし、外から授業を参観していると、子どもたちが学びの主体ではなくなっています。


授業の様子を見る限り、あたかもゲスト参加のような感じを受けます。
聞いている姿に真剣味を感じることはできません。
視線が定まらず、ちらっと先生の方を眺めています。
早く終了のチャイムがならないかと時計ばかりを意識している子ども。
それでも先生だけは、一生懸命子どもたちに話しかけています。


さらに、先生の指示がないと一人立ちができない子どもが多いです。
おもしろいことに、先生が指示すればするほど、子どもたちは指示どおりに動かなくなっています。
先生が、直接、特定の子どもに指示をだしても学習に身の入らない子ども。


授業者も子どもたちが聞いていなくても話し続けています。
指示をだしてはいるが、その効果を評価していません。
終了時間が来れば終わります。
課題が残れば「宿題にします」と言って、教室を後にします。


一時間、先生と子どもが共に学び合ったという接点、山場がないのです。
授業で仲良くなるどころか、疎遠な関係になっています。

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