教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 738回  学級担任になって一か月 子どもからもらった宿題

新しい学級が始まって一か月が終わる。
学級担任は、新学期当初の気持ちと一か月を経た気持ちとを比べてみる。
当初、明るく希望を持っていた気持ちが、少し沈んでいる先生がいる。
実際に子どもたちと接してみて、今まで考えていた以上に悩みが多くなった先生がいる。
いきなり保護者にクレームをかけられて困惑されている先生がいる。


先生は、一人一人の子どもたちから一年間の宿題をもらった。
子どもたちの抱えている問題点が少しずつ見えてくる。
あるいは、いきなり手のかかる子に出会って、学級がかき回されている先生がいる。
最初から学級をまとめようとすると、一人一人の子どもの観察・指導がおろそかになる。
特定の子どもに手をかけすぎると、周りの子どもたちが離れていく。
どの子も先生にかまってほしいからだ。
子どもたちの心のなかで、どの子からも「ぼく・わたしの先生だ」と思われる先生でありたいと願う。


担任に与えられた子どもの指導契約期間は一年間である。
最初の一か月で、子どもが自分の手の中に入ったと思わないことだ。
先生が子どもの手のなかにはまってしまっただけである。
子どもは柔軟である。
先生がどんなことを好むか、よしとするかを見抜いて、それに合わせようとする。
そのようなとき、先生は、「今年の子どもは落ちついている」「よく言う事を聞く」と喜ばない。


子どもが先生と仲良くなったわけではない。
子どもが先生を尊敬しているわけではない。
学校の先生、担任の先生だからついてきているだけである。
子どもたちにジョークをとばして、人気がでてくる先生もいる。
しかし、その先生の授業、学習指導が始まると。少しずつ離れていくこともある。
先生はコメディアンではない。


いずれにしても、この一か月で宿題を子どもたちからもらった。
この連休で、それを整理してみる。
そして、連休明けから、本格的な学習指導を始める。
授業を通して、教材を仲立ちとして、子どもに迫り、仲良くなる目標をもつ。。


一か月で、担任の先生が落ち込んではならない。
一か月で、子どもに対する指導に対する自信が膨らんではならない。


一か月で、子どもたちの実態をおおむね把握できている。
子どもたちの問題は、同時に先生の課題であり目標となる。


子どもから宿題をもらった先生は素敵である。
子どもからの問題を受け取る受信機の感度がいいから。

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