教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 75回 学級崩壊の子どもたちを修復 実践 その4

子どもの得意なことでつながりをもつ


学級をかきまわしている子どもは、どの場合も核となる子どもは3人ぐらいです。
3人の子どもがだれであるかを早い時期に見つけることが大切です。


さて、わたしの話になりますが、3人のうちの中心はA男です。
A男は、金髪(茶髪ではなく)で学校中の目立つ存在でした。
他の先生も声をかけにくい存在でした。
いつも簡単に友達をなぐります。
学校の集会においても、他の2人と示し合わせて、全体の空気を変えようとします。いつも何かに抵抗しているようでした。
他の2人は、彼に追従しているところがありました。


他の子どもたちが「先生なんとかしてくださいよ」と私に訴えてくる日々が続きました。私は、一向に彼らに注意しないので、「今度の先生もだめだわ」という声が聞かれるようになりました。


4月の学級懇談会の前日に、役員の保護者が校長室に押しかけました。
このままでは、昨年よりもひどくなるということを危惧していました。
校長から保護者の話を聞きました。
私は、校長にお願いしました。
6月の末まで見守ってくだされば、その時までに結果が変わってきますということを伝えました。(私の今までの経験から)


崩壊の修復は3か月を要します。
焦って先生の強権発動をしても、事態は悪化するだけです。
彼らは、そのような先生の姿勢にあきあきしています。
不信感を募らせているのです。


先生、学校に対する不信感は、自分を何とかしてほしいという願いでもありました。
彼ら自身は、決して今の行動を良いとは思っていません。
ただ、自分でどうにもできないところまできているのです。
友だちは、自分からどんどん離れていきます。
自分の存在感は抵抗と暴力、反社会的な行動をとるしかありません。


彼らの存在を否定するのではなく、受け入れる(認めるのではなく)ことから始めます。受け入れるというのは、「あなたもそこに存在している」と本気で受け止めることです。


授業において、彼ら3人の子どもたちをその輪の中に入れるように指名していきます。簡単な問題を中心に尋ねます。つぶやき発言があれば、すかさず取り上げます。


A男は、勉強が苦手です。
特に、前の4年生の時の算数ができていません。
それは算数の時間になると教科書、ノートを忘れていました。
机の上には何もだしていません。
観察しているうちに算数に対する大きな劣等感を持っていました。
算数の教科書とノートは私が貸し出しました。
彼のための教科書とノートを購入して揃えました。


私は、いずれ彼と算数の授業の中で大きな勝負をすることになると感じていました。彼の弱点と勝負するには、その前に彼の得意なものを認めることが先でした。
それは、彼の走りです。学年一番の走りです。
だから、彼にとって体育の授業は唯一、勉強において参加できるものでした。


体育の授業はどの子にとっても好きな時間ですので、それを利用して子どもたちを静かにさせるこができます。
他の授業の前は、5分間ぐらいおしゃべりしています。
最初の体育の時、子どもたちが静かになるのを座って待っていました。
そのうちに、子どもたちが「先生、どうして体育をしないの」と言ったので、「みんなが静かになって準備ができたらします。それまで、先生も座って待ちます。」と伝えました。
まあ、彼らのざわつきに私も付き合っていました。


体育は時間がほしいので、やがて、チャイムと同時に静かに待つようになりました。他の教科は、もう少し時間がかかったままでした。
体育は、彼の得意な走りです。
授業の中でどうして彼の走りが速いのかをみんなで研究することにしました。
彼は、照れながらも何度も走って見せてくれました。
走りの先生としてモデルとして存在感を示すことができるようになりました。


集団がA男を育てます。
これによって、わたしとA男の距離がほんの少し近づきました。
子どもたちを伸ばすのは、短所からではなく、長所を取り上げることからです。


次回は算数とA男についての話です。

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