教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 74回 学級崩壊の子どもたちを修復 実践 その3


崩壊している子どもたちは、学ぶ意欲を見せることはありません。
少数の勉強したい子どもたちがすこし挙手して発表しますが、例の子どもたちが発言者を茶化します。時には、「うるさいわ」と妨害することもあります。


このような学級で型通りの授業はできません。
やはり、授業というのは、一人ひとりの子どもと仲良くすることから始めなければならないと考えていました。
例の子どもたちの机はすべて斜めになっています。
私をはす向かいに眺める位置にあります。
子供たちの机は、放課後、必ずもとにもどして整頓しておきます。
決して、机を整頓しなさいとは指示しません。
彼らは、私が叱るのを今か今かと待っているからです。


彼らの机の動きは、私と彼らとの親密度のバロメータです。
彼らが私を少しでも認め始めると机は動かなくなります。
実は、彼らは、本当は今のままの自分でよいとは思っていません。
ただ、自分自身ではどうにもできない状態になっているのです。
先生や大人に対する不信感が、その怒りと寂しさに満ちた眼差しから伝わってきました。


先生の話を中心に指名して子どもたちに尋ねる授業にしました。
そして、やさしいところから内容に入るようにします。
そうすることで、子どもたちの学力と関心の度合いがわかります。


私が彼らに指導しないことで、私に対する不信感が少しずつ芽生えてきます。
一週間たって、荒れているのは彼らだけでないことがわかってきました。
それは、積極的でパワーのある女子たちです。
授業中にメモを回して遊んでいます。
私にはわからないようにして行っているつもりですが、やはり、わかるものです。
学級崩壊の場合、少数の男子が注目されますが、実際には、見えないところで女子が荒れてきています。
無気力、無関心になっています。
女子は、教室の空気を作っているじゅうたんのような存在です。


話は少し変わりますが、他の学級を授業参観されることがありますね。
その時に、先生に対する女子の眼差しを観察してください。
親しみをもって先生の話を聞いている子、斜めの視線で聞いている子、手遊び、髪の毛いじりをしながら聞いている子、ずっとうつむき加減で聞いている子がいます。
女子の場合は、すぐに不満を表にださずに、何気ない行動、しぐさの中に自分の反抗心をだしています。
ですから、教室全体がなんとなく落ち着かないになってきます。
そのうちに、男子が荒れてくるようになります。
あくまで、学級崩壊をしたクラスを担任してきた経験から見えてきたことです。
その教室の女子は言います。
「あの子たち(3人)は、私たちが何かを提案してもすぐにつぶすのでやる気なくしました。」
自分たちの行いについては反省していません。


授業は、子どもたちとのコミュニケーションがうまくいないかないうちは、ノートを使って一人で考えさせて、そのノートを私が見てまわるという方法をとりました。
ノートを通して、一人ひとりとつながりをもつようにしました。
子どもたちの考えをほめます。
わからないときは、個別に指導します。
2週間はその継続です。
最初の段階です。
次回に続きます。

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