教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 73回 学級崩壊の子どもたちを修復 実践 その2

崩壊した学級 初日の出会い
次の日から、胃が痛くなるような日々が続くことになりました。
子どもたちとの出会いの日、3人の男の子が教室の真ん中の席を占拠しています。周りの子どもたちは、机の間をあけてすわっていました。


昨日整頓していた3人の机の位置は大きくずらされています。
教室はざわついています。
静かな環境の中で担任の挨拶ができる空気ではありません
このような場合「静かにしなさい」という言葉が先生から発せられますが、この言葉は禁句です。彼らは、私が叱ったり注意したりするのを待っているのです。
先生もやっぱり同じ穴のむじなだとレッテルをはろうとしています。
しかし、この混沌とした威嚇的な空気は今までにないものでした。
前年の3学期に、校長や教頭、そして、何人かの先生が入られて、びくともしなかったということでした。


マイナス行動を制止するのではなく、あくまで、彼らとのつながり、かすかな関係性を見つけることから始めます。
そうはいっても、コンタクトをとることすらかなわないような空気でした。


私は、口頭での挨拶を避けて、黒板に名前を書いて「よろしく」とつけ加えました。連絡事項はすべて黒板に書きました。
子どもたちに自己紹介をしてもらいます。私が、名前を読み上げて返事だけをしてもらいます。これを毎朝、一週間続けます。
子どもたちには返事だけさせます。


「○○くん」「はあーい」と元気のない返事です。その返事が今の私と彼らとの関係性を物語っています。バロメータです。
まともに元気のよい返事はかえってきません。
3人の中心になる子どもたちは、私の呼びかけに返事はしません。
無視です。
ところが、その無視する態度が、すでに私に対して返事をしていることになるのです。
私は、子どもたちが返事をしたら、それぞれの子どもたちに一言メッセージを付け加えます。
「元気だね」「スポーツが好きかな」「今日の服、かわいいねえ」「散髪したんだね」などと、印象的な言葉、プラス評価を送ります。


もちろん、彼ら3人にもそれなりに送りますが「何を言ってるのや」という顔で私をにらみ返してきます。反応ありです。にらみ返すのは、かなり私を意識しているからです。彼らは、私のぬいぐるみにいたずらをしたことを私がしかると思っているようでしたが、何も語りませんでした。


子どもたちがマイナス行動したとき、先生が何も言わないというのは、子どもたちにとって不思議でしかだがないのです。彼らのリズムが狂ってくるからです。 もし、ぬいぐるみのことや、机のことを叱ったり注意したりすると「うるさい、俺たちのかってやろ」「そんなもの教室に持ってくるのがわるいのや」と言い返してくるでしょう。


周りの子どもたちは、彼ら3人の乱暴さをおそれているのか、机をはなしています。
その日は、静かになることが少ないので、できるだけ黒板に書いて伝えるようにしました。
おわりの会も黒板に明日の用意を書いて「さようなら、また、明日」と書いて教室を私が一番にでました。このことは、子どもたちにとっては、少しばかりシヨックを受けたようです。
変わった先生やという印象を与えたようです。同時に3人以外の子どもたちには、先生が3人の子どもたちに対して注意しないことに不安を覚えたようです。


崩壊する学級の子どもたちは、担任に対する先生への思いこみがあります。威圧的で、叱る、注意する、自分の思うようにする、などなど・・・
その思いこみを打ち破ることから始めました。


私は、忍の一文字で一日が終わりました。
二日目から即授業に入ります。体育も入れます
係や当番はあとでいいです。どうせまともにすることがないと思ったからです。
授業で子どもたち一人一人と対話していくからです。


次回に続きます。

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