教育随想 72回 学級崩壊した子どもたちの修復実践 その1
「学校、始まって以来の学級崩壊です。」
近くの学校の校長先生が私に会いにこられました。できれば、その学校に赴任してほしいとい要請を受けました。
そのとき、私は、躊躇しました。今まで、何度も、崩壊した学級を担任してきましたが、校長先生のお話の学級は、私が今まで出会ったことのない子どもたちでした。
正直、また、胃痛の毎日かなという不安がありました。しかし、何度か足を運んでくださった校長先生の思いを考えると、引き受けざるえなくなりました。
4年生の学級ですが、担任の先生は耐えられなくて辞職されたということです。すでに、3学期においては、どの先生が入っても授業が成立しないという有様だったようです。
私は、次年度その学校に赴任しました。5年生です。三クラスありましたが、私の学級に崩壊の中心にいた子どもたちを入れてくださいとお願いしました。3人いました。
始業式は八日でしたが、その当時、始業式の日には前任校の離任式がありましたので、始業式の日に新しい子どもたちと出会うことはできませんでした。
でも、始業式前日には、教室環境を整えるようにしました。
清掃、窓拭き、机の拭き掃除、黒板清掃など、子どもたちが入室したとき、その中に入っただけで、気持ちが変化するように準備しました。
私の教卓の上には、小さな熊のぬいぐるみを置いておきました。教室に学習に直接関係ないものが、教室の優しい環境をつくることもありますね。
さて、離任式が終わり、その日の午後、赴任校に行きました。教室が気になっていたからです。もちろん、次の日の準備もあるのですが。
子どもたちがいなくなったあとの教室は、今の子どもたちの心境を反映しているものです。
私は、少し緊張して教室に入りました。
案の定、教室はひっくり返されていました。
3つの机と椅子がひっくり返されていました。
私の教卓に置いていたぬいぐるみには、赤マジックで体中、落書きをしていました。
これらの出来事は、私への挑戦です。
「やってみるならやってみろ、俺らは、変わらんよ」という思いがひしひしと伝わってきました。前担任のときも、「先生は けらいや」ということを周りに豪語していたようです。
ひっくり返された机は3つ。中心人物の3人ですね。他の先生が来られて、ひどいものでしょう。こんなのは、序の口ですよと言われました。
私は、一日の仕事が終わり自宅にもどったとき、明日からの登校が少し怖くなったものです。
一方では、10年少しの子どもたちに、何十年も生きてきた私が負けてたまるかという思いがこみ上げてきました。
次回に続きます。