教育随想 689回 行儀よくしなさい
給食の時間に立ち歩く、食べ方が悪い時「お行儀よくしなさい」。
見学に行くとき、乗り物の中、見学先の行動「お行儀よくしなさい」
私も幼い時、「もっとお行儀よくしなさい」と言われたことが脳裏に残っている。
私たちは、社会において、いろいろなルールに従うことは大切である。
今は、子どもたちの公と私の区別、その境界が薄らいでいる。
私は、子どもたちにルールを守らせたり、しつけと称して、一定の行動を強制したりすることがあった。
それは、子どものためにしていることだと言い聞かせていた。
でも、時々、そのことに疑問をもつことも多かった。
本当にそうなのか。
私の母親は、今から思えば教育ママであった。
私の行動を事細かく管理していた。
母親の口癖「あなたのことを思って言っているのだからね」。
私は、納得する反面、そんな母親を疎ましく思うようになったことも事実。
先生は、子どもたちにいろいろなルールを守らせる。
それが子どもたちのためになっていると信じている。
それはそれで悪くない。
しかし、子どもたちは、先生の指示する別の世界を感じているのではないか。
給食のときは、友だちと話しながら楽しく食べたい。
休憩時間、あっという間に終わり、もっと遊びたい。
勉強も宿題もできれば楽な方がいい。
長い時間、机に向かっているのは窮屈だ。
先生の押しつけは、もしかしたら、子どもたちの別の可能性を狭めているのではと思うことも多かった。
さらに、私自身が、しつけることもルールを守らせることも大切であると一方的に、確信的に信じていることである。
子どもにとっては、よりいっそうやりきれなくなったように思える。
子どもの行動を制御することが、どこかで、別の可能性を削っているのではと悩むことも多かったと思いだされる。