教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 686回 授業における追究過程 「とらえる」「たしかめる」「ひろげる」

学習問題を追究させる段階は、おおきく分けて3つである。
「とらえる」「たしかめる」「ひろげる」である。
どんなことを勉強するか、その学習課題をとらえることが最も大切である。
学びの目標であり到着点である。


「とらえる段階」について
先生方は、すでによく知っておられることなので、重複することも多い。
まず、一通り教科書を読む。
そこで把握するのは二つ。
  ①何がわかればいいのか、できたらいいのか。
   これは学びの目標になる。
  ②心に受け止めなければいけないのは何か。
   意識しておくこととか、大切にしたいことは何かという意味。


前に習った学習と似ている点はないか。
同じような教材を前にしたことはないかと想起させる。


取り出した問題は、中心問題と付随する問題に分ける。
この時に、学習問題と疑問点を混同させない。
配当時間は、先生が示す。


学習は、子どもたちの自習から始まる。
学習に入る前に予習を先行させる。
この部分は大切である。
子どもが独力で目の前の教材を読み、中心点や疑問点をつかむ。
何が不明であるかをはっきりさせる。


「たしかめる段階」について
子どもの発言を十分に取り上げる。
指導者が子どものよい聞き手になるのがポイントである。
一部の子どもの発表になれば、その発表者の範囲を意図的に広げる。
それが指名発言である。
理由や根拠を明確にして発言するように指導する。
特に、小声、不明瞭、早口。


最近は、テレビの番組において、登場人物の早口が目立つ。
聞き手に考える時間を与えない。
早口でしゃべる人は、深い思考をしていない。
考えながら語るようになれば、自然に沈黙を入れるようになる。
沈黙は、聞き手を招き入れて考える時間をつくる。


ひろげる段階」について
一時間の学習を簡潔させない。
さらに、わからないことはないか。
もっと知りたいことはないか。
子どもの学びが教科書から飛び出すようにする。
子どもが教科書から離れだすと、子どもの学びは深まる。
学びの自立が始まる。

その試みとして、かつて「総合的な学習」が始まったのだが・・・。
いつのまにかしぼんでしまった。

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