教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 679回 校長が お代わりになろうと

最近、問題のある子どもを抱えた担任の先生から聞いた話である。
多動の子どもで、授業が中断されることもある。
学年としては、なかよし学級に通わせるのがよいのではという意見になった。
保護者も学校における子どもの様子はあまり把握されていなかった。
家庭では、いい子として過ごしているからだ。(父親の圧力)


担任は、学級における子どもの様子を保護者に参観してもらいたいと校長に伝える。
校長は反対した。
理由は、保護者を頻繁に出入りさせると、学校のあらが見られるので困るという。
なかよし学級に通わせることについても、他の先生に入ってもらって同室・別室指導をすればいいと言われる。
要するに、学校の恥になるようなことは、さらしたくないという校長の見栄である。


このような例は、決して珍しくない。
このような先生が「個性豊かに」というスローガンを掲げている。
学校の個性、先生方の個性も尊重しないで、どうして学校教育の個性が尊重されるのだろうか。
フェスティバルやイベントで目くらましぐらいで満足されている。
全市の教育発表会に名乗りをあげて、全職員を忙しさに駆り立てる。
スローガンや教育目標は、日々の授業や生徒指導のなかで実現なんて夢物語である。
もちろん、それがすべてとは言わない。


学校に問題が出てから校内を忙しく歩き回る校長先生もおられる。
ふだんから、職員がいかなる授業、子どもとの触れ合いをしているかを知る。
かつて、私は校長先生に進言したことがある。


各担任の教室を日常的に巡回してください
授業中にドアをあけて自由に参観してください。
すると、校長先生が「教室に監視するみたいで入りにくい」と言われた。
私は、研修の世話係をしていたので、自由にだれでもいつでも参観できるようにした。


同僚の仕事を同僚が知らないというのはおかしいということから実施した。
試行期間として一か月試してみた。
やがて次年度から一年間実施した。
こうすることで、管理職も自由に教室に入れるようになった。


新任の校長先生は、張り切っておられるので、4月にいきなり職員に注文、教育目標を上げられた。
職員は、いきなりの変更なので、正直、不評であった。
問題は、学校、子どもの様子を把握しないで、自分の理想だけで走ろうとされた。
私は「せめて一か月、学校や子どもたちの様子を把握してください。それから、校長としての方針をだしていただけないでしょうか」と提言した。


これは失礼を承知で言わせてもらうと、校長が変わっても学校教育や子どもたちが大きく変わったことはない。
だれがなっても代わり映えしないようである。
それよりもどこかの政治家ではないが「聞く力」をもってほしい。
職員、子ども、地域の声に耳を傾ける管理職であってほしいと願う。
校長のような上の立場から下々の職員の実体はわかりづらい。
しかし、職員から校長先生の正体はよくわかるものである。
先生と子どもたちとの関係もしかりである。

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