教育随想 677回 時短 手間 手と手の間には
先日、料理番組を視聴していると、時短料理と言う言葉を聞いた。
時間をかけずに、手間を省いて短時間で調理することらしい。
忙しい毎日を過ごしている方にとっては、必要なことである。
時短調理を否定はしない。
生活上での必要性からきているからだ。
「手間」は「手の間」である。
辞書を引くと「手を使う仕事などで、その手を動かす動作のとぎれめ、また、その次の動作までの合間」とある。
現在よく使うのは、「あることのために要する時間」の方が使われる。
手間がかかる 手間がとれるなど、仕事に要する時間が意識されている。
「手間」の「間」にはどんなことを考えているのか。
仕事をしながら、手を休めて仕事を振り返り、次の手順を考える間である。
常に、間をとりながら仕事を進める。
当然のごとく、仕事の時間も長くなる。
教育現場に目を移してみよう。
黒板に書くよりも電子黒板に映し出すほうが時間短縮できる。
ノートに書かせるよりもワークシートを使った方が時短になる。
教育現場では、ますます効率が優先されている。
ある人は、働き方改革だという。
要するに楽になっていくことだろう。
それについても、人それぞれである。
私は、手間をかけることこそ教育の本質でないかと考えてきた。
母親が赤子を育てる姿は、まさに、手間暇をかけている。
そこまでていねいにしなくてもいいのにと思う(孫を見ていると)が、それが母親の愛情だろう。
職人の仕事は、すべて手間をかけることによって創造される。
先生も職人ではないだろうか。
子どもたち、人間を相手にする時、手間を惜しまないことではないのか。
ある先生が、職員室で子どもたちのノートにコメントを入れておられた。
その時に、それを見かけた他の先生が「そこまでしなくてもいいのではないか。見たことがわかるようにサインだけでもよいのでは」と言われたらしい。
なぜ、ノートにコメントを書くのかその先生に尋ねた。
「私は、授業がうまくないです。だから、子どもたちが書いたものをしっかり読んで応えていきたいと思います」と笑顔で言われた。