教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 676回 子どもは教えていないことを 学ぶ

先生は、ねらいを意識して教えている。
教材内容であったり、生徒指導上のしつけであったりする。
意識して教えてもなかなか子どもたちのなかに入らないこともある。


ところが、振り返ってみると、意識していない私の言葉や行為が子ともたちのなかに浸透してしまっていることがあった。
そのいくつかの例をあげる。


話し方のくせ
私の話し方のイントネーションが子どもたちの話し方のなかに見られる。
だから、なんとなく私の話し方に似ていることがある。
さらに、話している時の手ぶりも似ている。
もちろん、すべての子どもたちではない。


そのようにして見ると、いろいろなことが一年間で子どもたちのなかに入っている。
ある時、他の先生から
「先生、先生の学級の子どもたちは、先生の歩き方とよく似ていますね」
と言われたことがある。
私の短い足で急ぐように歩く姿が似ているということらしい。
それまでは、まったく気づかなかったが、改めて観察すると、なるほどと思った。
他にも給食の食べ方、ノートに書いている時の子どもの姿勢など色々出てきた。
もちろん、すべての子どもではない。


これは、私にとって、反省すべき点が多かった。
無意識の指導である。
自分の立ち振る舞いすべてが、子どもたちに影響している。
だからこそ、、私は、服装については、ぶだんから注意していた。
清潔であること、すっきりしていることだけは意識してきた。
「あのう」「ええと」という言葉の間に挟む無意味な言葉はなくしてきた。
そうすると、子どもたちの話し方にもその影響が表れた。


黒板に文字を書くとき、子どもたちは私の背中を見ている。
文字を書く姿を見ている。
だから、黒板の文字は、うまくはないけれど、ていねいに書くようにした。


しかし、意識しなかったことのほうが、よくも悪くも子どもたちに影響を与えていると感じていた。
親は子供たちとの時間が長いから、その影響は大きい。


私は、4月の時に、子どもたちの話し方の癖を観察した。
そして、その話し方がきっと親の影響を強く受けていると考えた。
家庭訪問の時、親との対話のなかで検証した時がある。
結果は、すべてではないが、多くの子どもたちは影響を受けていた。
これは、考えたら当たり前のことである。


子どもが友だちに「ばか」「あほ」を連発する子は、常日頃から、親に言われているのだろう。
「もっとはやくしなさい」「もっとサッサとしなさい」「何してんの、ぐずぐずして」
それらの子どもの言葉から、その子たちの家庭生活が想像できる。

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