教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 675回  学びが変わる(GIGA)スクール ほんとうなの?

先日、市の広報に次のような記事が載っていた。
「市立小中学校で、児童生徒一人ひとりに学習用パソコンを家庭での学習に活用するなど、子どもの学びのようすが変わりつつあります。」
「GIGAスクール構想とは、1人1台の学習用パソコンと高速大容量の通信ネットワークを整備し、これまでの教育方法とバランスよく組み合わせ、すべての子どもにとって質の高い学びを実現することを目指す取り組みです。」


さらに、学習用パソコンでできることを4つの点を挙げている。
①一人ひとりに合わせた学習
 「デシダルドリルを使うことで、それぞれの理解度や進度に応じた学習ができる。」
 教材の難易度をそれぞれの子どもに応じて上げたり下げたりすることでしょう。
 「理解」という一点に絞っていえば、有効な面はあります。
 個人別指導が中心になります。


②友だちと意見を出し、共働して進める学習
 協同の漢字が「共働」に変わっています。
 共に活動する、作業するなどに中心をおいています。
 この時に、パソコンが有効なのは
「授業のなかで、一人ひとりの考えをお互いにリアルタイムで共有でき、簡単に意見交換ができる。」


確かに、お互いの考えをネットワークによって知ることができる。
しかし、子どもたちにとっては、自分の考えに自信がなくても全員にさらけ
出される。
したがって、子どもたちのそれぞれの実態を察知して公開する必要がある。
児童観察が必要。
単純に共有と言うが、本来は、話し合っていくなかでの、肉声を通しての
分かり合いが大切である。
「簡単に意見交換」と言うが、果たして、簡単なのだろうか。


情報交換程度ではないのか。
このような新しいシステムを取り入れていくとき、今までの教育方法の問題点
を指摘し、それをどのように克服するのか、具体的な視点を必要とする。
それがない。耳心地のよい言葉の羅列も多い。


「他の地域の交流学習を通して、さまざまな考えに触れられる。」
交流、高まりがないなかで、地域交流が必要か。
地域交流をするとしたら、その土地のくらしを学ぶ、工業地帯にすむ地域の子ども
のくらしぶりを知りたいという欲求があれば面白い。
「交流」してどうするのか。
何を得たいために「交流」するのか。
何を知りたい、理解したいための交流なのか。


③知りたいことを簡単に 調べ学習
 「わからないことをすぐに、調べることができ、学びを深め発表時の資料などに
  使うことができる。」
  便利であると言っている。
  しかし、便利は学びを楽にしてしまうことがある。
  わからないことの答えを求めてネット検索する子が多い。
考えもしないで、仮説も立てないで、いきなり答えを求める。。
「先生、わからないから答えを教えて」のたぐい。


わからなさを自分の中に取り込んで、熟成できる子どもを育てる必要があり。
ネットが考えない子を育てる。。(すべてとは言いません)


子どもにカメラを持たせて資料集めをさせると、よく観察しないでシャッターを切る。
よく目を通さないでパンフレットを集める子。
何でも録画、録音、そこに何のためにそうするのか、意思決定がない。
先生が指導すべきは、学びの手段だけでなく、その姿勢、意図です。


④充実した家庭学習
 「必要に応じて持ち帰り、家庭での宿題や調べ学習で活用します。
  万が一、臨時休業になっても、インターネツトを使ってオンライン学習
  などが可能です。」
ここで気になるのは、パソコンがなかった時は、家庭学習は充実していなかったのだろうか。
パソコンがあれば、今までよりも意欲的に学習するかのように書かれている。
パソコンも子どもにとって飽きてくる。(ゲームなら別もの)
調べたいという意欲が本当に生まれるのか疑問。
調べてたくさんの情報だけが表れて、そのあと、どのように精査するのだろうか。


パソコンは、子どもたちの学びの一部を変えるだろう。
しかし、子どもの学びそのもの(意欲、思考、発見、比較)が変わるのだろうか。
視聴覚機器を取り入れてしまうと、子どもの内面的な学びから遠ざかっていくように思われてならない。

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