教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 671回 話合い活動の活発化  埋没、依存、雷同

集団学習の利点は、一人一人の子どもの意欲を高める。
さらに、周りの助力により理解を助ける。
また、周囲の考えに耳を傾けたり、討論したりして、一人ひとりの考えが固定化されにくくなる。


しかし、教室内を注意してみると、問題点が見られる。
はっきりした自分の考えを持たない子どもの動向である。
話し合いの赴く方に流されている。
友だち(班)の学習であって、自分の学習という観念が薄れている。
誰かがいつも助けているという依頼心の増幅。


問題は
自分の力をためすことができなくなる。
集団を離れて、学習のできない子を育てることになる。


だからこそ、独り学習を徹底した上での集団学習である。
集団学習に入る前に、自力で自分の考えを(わかる、わからないも含めて)見い出す場面をつくる。
あるいは、集団からヒントをもらって、自力で考えることを大切にする。


授業参観でしばしば見受けられるのは、個人を離れて集団学習だけが一人歩きしていることである。
集団学習は、どこまでも個人の学力を育てることをねらいとする。。
集団を離れても自力で問題発見、見通し、解決できる力を育てる。


だれかの考えに流されることがある時、学級の力関係が働いていることがある。
独自に反対意見をだすと、にらまれるということもある。
そのあたりを先生は、常に、見守る必要がある。


一人ひとりの考えが埋没していないか。
埋没しているとすれば、その原因は何か。
個人的な自信のなさか、それとも集団に自分をさらけ出す不安なのか。


依存心、だれにでもあるものだ。
誰かの意見にしたがっておれば、楽であり安心なのだ。
できる子ども、活発な子ども、さらに、先生に対する依頼心。


雷同、今の子どもたちは、この傾向が強い。
自分の明確な考えがなくても簡単に友だちの考えに賛成する。
流行も一種の雷同といえなくもない。
集団学習を放任していると、子どもたちに負の影響を与える

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