教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 66回 ふだんの授業をいい授業にするには その1

年に数回しかない校内研修授業。
掲示の準備をしっかりとして、黒板は短冊カードでいっぱい。資料の準備もボリューム満点。
教科書の拡大コピーを用意して、黒板をいっぱいにさせます。黒板がなんとなく演劇のステージに仕上がります。


研修後の講評。
「よく準備されましたね」というあたたかい言葉。先生の成し遂げたという充実感。
研究大会の発表授業も同じですね。
私は、このような授業を参観したあといつも思ったことがあります。
この授業の次の授業、明日の授業はどのようにすすめるのだろうかという疑問をもったものです。


このような準備は、毎日の学習の中でできるものではありません。
ふだんの授業からかけ離れたものです。
研究授業とは、ふだんの授業を研究するためのものであると考えています。
ふだんの学習に使えないことを研究しても意味がないのではないかと考えていました。


研究授業では、主に研究主題にそって、「教材解釈」「教材の特質」「指導過程」「子どもの思考過程」などに重点がおかれます。
ふだんの授業でも大切です。
それにもまして大切なことは、
一日の学校生活を通しての子どもたちの学習意欲であり、1時間の学習を通しての教科への関心であり、それぞれの子どもたちの学力の充実であると考えます。


 意欲、関心、充実です。
 この3つを目標においた学習が「いい授業」であると考えています。


 「ふだんの授業」を「いい授業」にするにはどうしたらよいのでしょうか。


昔から多くの先生は、下読みとか下調べを熱心にされていました。
そのような調べの準備なしに子どもたちの前に立つと、先生の中に何かがいっぱいつまっているわけではありませんから、子どもたちにとっても味気ない話になります。
指導書や参考書を読む前に「まず、自分で勉強すること」から始める必要があります。
子どもと同じ立場で学習することです、
なにが大切か、どこがおもしろいか、どこがよくわからないかなどを考えながら先生は独り勉強を進めます。
今では、すべてネットやハウツー参考書に書いてあることを最初から実践しています。
先生が教材と独りで立ち向かっていないことになります。


先に先生が自分で勉強していると、教えるべきこと、教えるべきチャンスがつかめるものなのです。
そして、そのことが、子どもたちの多様な考えに柔軟に対応できる力になります。
教材を広げたり、深めたり自由にできるようになります。
次回から、具体的にお話しします。

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