教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 639回  補助発問  飛び石発問

スモールステップ発問は、子どもの理解過程にそって、細かく助言、発問をします。
常に、段差の少ない学びの道を作ります。
ところが、これでは、子どもたちの思考力を育てるには弱いです。


飛び石発問、川の端から端へと飛び石が敷かれています。
その間隔は、だいたい等距離にしてあります。
学びでは、この間隔を変えます。


スモールステップ発問は、分かりやすさが命です。
しかし、飛び石発問は、わかりにくさが命です。


わかりにくくすることで、子どもたちの学びの意欲を大きくします。
簡単なところでは、算数の学習です。
整数、小数、分数のどの計算も、その計算方法を教えません。
教科書も見せません。
黒板に書いて、どんな方法でもいいから自分で計算させます。
これが最初の飛び石発問です。
子どもたちにとっては、何も教えてもらっていないのに、いきなり計算せよと言われると困ってしまいます。
困ったらいいのです。困らせるのです。
数学においては、常に、わからなさ、解き方に迷うことが大切です。
数学は、理解ではなく、迷いながら答えに近づくのが楽しいです。


子どもたちの学んでいる様子を見ます。
子どもの学びの壁が高いようでしたら、ヒントになる発問、助言を入れます。
初めにおいて、いかに、わかりにくくするかがポイントです。
しかし、長い間わからないままにしておくと、子どもの意欲は小さくなります。
その見極めが重要です。


植物の種子を蒔く時です。
「この種は死んでいますか、生きていますか」と発問します。
子どもたちは、明らかに迷います。
自分の考えをつくって、討論させます。
種は、発芽条件が整わないときは、休眠しています。


発問、助言はわかりやすくするためのものと、わかりにくくするものがあります。
わかったことがあれば、その分かったことを疑わせる発問が必要です。
わかるは、わからなさをこえて わかるようになるのがいいですね。

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