教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 62回  机間巡視で うちとける

下調べをしっかりした先生が、次の日の授業でうまくいかないことがあります。
自分の思うように子どもたちが反応してくれないからです。
そうなると、さらに、自分の描いた授業計画通りに進めようとします。無理にやらせたり、聞かせたりすることが多くなります。子どもたちは先生のペースで進められている授業に興味を持たなくなっていきます。


先生は、自分が調べたことをどうしても子どもたちに伝えたいという気持ちが強くなります。どういうわけか、教材研究をすればするほど、そのような気持ちは強くなります。


やがて、子どもたちが理解を示さなくなりわからないのは、子どもたちがだめなんだと子どもの責任にすることがあります。
先生が力んでいた分だけ失望も大きくなります。このようなことは、よくあることです。特に、若い先生ほど多いように思います。


 机間巡視
授業の中で机の間を先生がまわって一人一人の学習状態をチェックします。
私は、小学校時代、これがあまり好きではありませんでした。
先生が通り過ぎるとき、先生のたばこのにおいやきつい香水のにおいがいやだったのです。中には、口臭がきついという先生もいました。机の横で先生に指導を受けるということは、これらのいやなことを全部引き受けなければなりませんでした。


私は、そういう意味では、自分からでるにおいに対してかなり気を使ったものです。子どもの立場からすると、「イヤだ」とは言えないことが多いですから。



 もう一つ嫌だったことがあります。
 それは常に高い目線から監視されている感じを受けました。
先生が近づいてくると緊張して思考がストップしてしまいました。
見降ろされているという感覚は緊張だけが残りました。


さて、私が、机間巡視で一番こだわったことは、監視ではなく子どもたちと、いや、その一人の子どもと一緒に学んでみようということでした。
「教えてあげよう」というのではなく、「いっしょに学ぼう」という気持ちで机に近づいていくことでした。
そのために、子どもと目線を同じにするためにかがんだ姿勢をとるか、小さな丸イスを持ち歩いて、そばにすわって子どもの学びを聞きました。
できれば、対座するのではなく、横に寄り添うようにすわりました。


 「今、どこまで考えているのか、おしえてくれないかな」「迷っているところはないかな」など、今のその子どもの学びを聞きたいと思いました。
ですから、先生としてというのではなく、一人の子どもになって、学びに参加させてもらうという気持ちを持ちたいと考えていました。でも、うまくいかないこともありましたが・・・。先生としての気持ちが、つい、強くなってしまうからです。


このようにたかが机間巡視ですが、されど机間巡視なのです。
付け加えると、先生の靴の音、特に、女性の先生のヒールの音は子どもたちの学習にとってどうなのでしょうか。教室の外にまで香水の香りが流れてくる先生もいました。適度というものはありますね。
すべては、子どもの視線から眺めてみると、ああ、しまったなあという失敗があります。

×

非ログインユーザーとして返信する