教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 596回 先生の力量は 両極端の間にある

教育の世界において、しばしば言われることがあります。
子どもに対して
褒めるのか、叱るのか、どちらがよいか。
厳しさか、やさしさか、どちらがよいか。
叱責か、賞与か、どちらがよいか。


家庭での教育については、放任過保護か、どちらがよいか。
教育の世界では、多くのことが両極端なのです。
放任も過保護も子どもにとっては、最悪なのです。


「ほめる、しかる」の場合について考えてみましょう。
先生によっては、子どもたちの行儀がよかったり、勉強を頑張ったりすると
「○○さん、えらいねえ、すごいよ」とほめられます。
ほめる回数が多くなると、しまいには、その子に対して、ほめることがなくなってきます。


ほめる意味は、子どもが自分の次の目標を設定できることです。
ほめられることで、次は、こんなふうにしようとか、さらに、高いものをめざそうとか、子ども自身が前に進めるようにします。
ところが、子どもは、ほめられることで、「これくらいでいいのか」と自分の向上心にブレーキをかけることもあります。。


しかるときも同じです。
しかりすぎると、いつも同じことでしかって、その効果はなくなっています。
しかることはいつでもできます。
しかし、なかなかその刀をぬかないことに意味があります。
あるいは、子どもを叱る時は、先生自身が本気になることもあります。
子どもにとって「、先生は、本気でぼくのことを心配しているんだ」と思えるようになることが大切です。
さらに、叱るに至るまでの過程をどれだけ先生が持っているかが大切です。
示唆する 促す 諭す 注意する・・など。


先生の子どもに対する姿勢は両極端にならないようにします。
子どもの状態、場の雰囲気、将来性を気遣って、いろいろな角度から検討を重ねて結構しなければなりません。
そして、その行為によって、先生の信用を失墜したり、回復したり、倍加したりするものなのです。
決して、教育はマニュアルではありません。
先生は、生涯一度の子どもを相手にします。
子どもに対する行為も一度限りです。
学習指導も一度です。
何をしても生涯一度の指導だという決意が必要だと考えています。

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