教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 595回  学級社会の活性化は、子どもたちの野性化から

「子どもの一人ひとりを学級社会で活性化」というお話をしました。
しかし、子どもたちは、自分中心に動く子どもが多いです。
こういったなかで、子ども同士をつないでいくことは難しいです。
「みんな友だちだから仲良く暮らしましょうね」
「お互いに支え合っていきましょう。」
「自分だけのことを考えずに、相手のことも考えようね。」
「みんながやさしい人間になることを期待しています。」
子どもたちに向けられた先生の言葉の一例です。


初めから仲良くしましょう。
けんかしないようにしましょう。
子どもたちがお互いを深く知ることなしに、先生は、表面的な言葉で子どもたちをまとめていこうとされます。


学級社会での活性化は、子どもたちの衝突、対立から始まります。
自分の言い分が通らないと子どもたちは喧嘩を始めます。
新学期、子どもたちはお互いを深く知らないです。
意見の食い違いは奨励すべきです。
言いたいこと、正しいと思うことを主張すれば、必ず価値観のずれから喧嘩がおきます。


喧嘩をさせまい、もめごとをおこさせまいとして、指導者は、先手をうって子どもたちを押さえこんでしまうことがあります。
「活性化」は、最初において、子どもたちを野性化させることです。
学級に何もルールがない状態で始めたらどうなるでしょうか。
子どもたちは、自分のルールでもって学級生活を送ろうとします。
その時に、もめごとがおきてきます。


無法地帯にしてしまっては収拾がつかなくなります。
その一歩手前で先生が介入します。
しっかり言いたいことを言える場をつくります。
そうはいっても、学級生活の場で、言いたいことを言わせると騒然となることもあります。


自分の思いをぶっつけ対立しても、とことん話せる場所、それが学習、授業の場なのです。
教材を真ん中にして、子どもたちがとことん対立しても、お互いを恨みあうことはありません。
学級という集団での活性化とは、授業、学習において、自己主張をさせることです。
真っ向から考えをぶつけ合えるようにします。
お互いの共通点は、お互いの違いを出し合ってこそ分かり合えることです。


学習集団として、討論を通して、真実を求める姿を具現化します。
だから、学習の場面で喧嘩させるのです。
話し合い学習とは、本当は、とても厳しいものなのです。
子どもたちが問題を一時間で追究できるとはかぎりません。
課題によっては、何時間もかかることがあります。
それでは授業の進度が遅れるのではという問題があります。
大切なのは、学習進度ですか?
集団で学びあう姿勢、力ですか?
喧嘩は、生活場面から学習場面に移します。
それが話し合い学習です。

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