教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 597回 両極端の真ん中は「黙認・沈黙」です

前回、「先生の力量は 両極端の間を動く」というお話をしました。
子どもに対して
褒めるのか、叱るのか、どちらがよいか。
ほめるのでもなく、叱るのでもなく「沈黙」があるのみです。
厳しさか、やさしさか、どちらがよいか。
厳しいでもなく、優しいでもなく、ただ、「沈黙」があるのみです。



先生は、両極端の間に、どれだけの段階、スモールステツプをつくることができるかが大切になってきます。
ですから、ほめたらよいか、しかったらよいかという問題ではありません。
厳しさは右手、優しさは左手、その両手で子どもたちを抱きしめます。
右手に力を入れるか、左手に力を入れか、そのバランスは子どもによって違います。


さて、今回は、それぞれの両極端のど真ん中にあるのは「黙認・沈黙」です。


子どもがふざけて窓ガラスを割ったとします。
先生は、黙ってガラスを片付けます。
彼がガラスを割ったことは黙認します。
割ったことを責めることはしません。(沈黙)
最後に、彼に対して「けがはなかったか?」と尋ねて終わりにします。


子どもからすると、叱られることの方が楽だという子もいます。
あるいは、先生が何も言わなかった時に、なぜだろうかと考えます。
先生の沈黙は、子どもに自分の行為を振り返らせます。


ある子どもが掃除のあと、雑巾をかけ直していました。
私と目があいました。
私は、無言のまま通り過ぎます。
何度か彼が雑巾をかけているのを見かけました。
でも、私は、彼をほめません。
ほめてしまうと、先生に褒められたい、認められたいという気持ちを強化してしまいます。
黙っているとで、雑巾の整理を継続していました。


一か月後、その子は、友だちの使ったあとをていねいに片づけるようになりました。
だれにも見えないように、靴をそろえるようになりました。
やがて、私は、彼の行為を褒めました。
「そういえば、あなたは、あの時も雑巾の整理をしていたね。」
以前のことを持ち出します。
その子はおどきました。
先生が、自分の行動を知っていたことに驚きました。
褒めるとき、何週間、何カ月の間をおいて、ほめることもあります。
点でほめるのではなく、線でほめるのです。


授業で子どもたちが発言します。
私は、反応することなしに聞いています。(沈黙)
彼の発言に何の評価もしません。沈黙です。
子どもたちの話し合いにおいても、無言で聞いているだけです。
先生がいちいち反応することも大切です。
しかし、やがて、先生は、子どもたちが自分たちで話し合いを始めたら、そこに介入しないようにします。
そうすることで、子どもたちの自由な考えがでるようになります。
子どもは、自分の発言をするとき、ちらっと先生の顔色をうかがいます。
これを避けるために、先生は、沈黙、無表情で立つことがあります。


子どもが授業中、質問しても、その子に自力で考えさせたいときは、先生は沈黙します。
にこっと笑うぐらいはします。
すぐに先生が答えをださないことで、自分で考えるようになります。


授業場面では、黙認・沈黙が大切なメッセージになります。
質問して、長い間、沈黙を継続します。
沈黙のなかで、子どもが試行錯誤します。


ほめるもしかるもしない。
沈黙・黙認する先生。
先生方は、言葉が多すぎるようです。
授業では、言葉を節約します。
沈黙を教室に取り入れます。

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