教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 592回 学級崩壊をきたす 担任の先生とは

今、タブレットを使ったいじめが問題になっています。
その集団がある学級で起こったことなら、すでに学級が崩壊しています。
お互いが支え合っていく支持的集団ではないからです。
教育機器を子どもに配備されることは、いじめが助長されることはすでにわかっていたことです。


何十年も前から、携帯メール等で友だちの陰口が拡散していました。
ネット社会は、子どもたちにとっては、なんでもありの裏社会です。
表向きは、友だち同士が親しいふりをしていても(大人の前で)ネット裏社会においては、反社会的な目的でつながっています。
それは、土の中のアリの巣のようです。


余計なことになりますが、全国民が発信者、評論家になってしまったユーチューブにも、お互いを貶めるような不愉快なサイトが見受けられます。
相手と顔を合わせて対話することがないので言いたい放題です。


さて、学級崩壊をきたす先生は、以前は怠惰の傾向のある先生に起きました。
自習が多い先生。指導案なしの出たとこ勝負の学習指導ばかりの先生。
私も出たとこ勝負はありました。
口先だけで、子どもたちに生徒指導をして、自分の行動は振り返らない先生。


ところが、ある時から、違ってきました。
それは、教育熱心な先生に学級崩壊が見られるようになりました。
学習不振の子どもの指導、学習指導、生徒指導、課外指導といずれの方面も手抜きなしの猛指導ぶりを展開する先生におきるようになってきました。


実際にそのような先生とお話すると、共通することがありました。
それは「教師の意識が強すぎる」ということでした。
担任した子どもが「こうでなければならない」の意識が過剰にはたらいています。
一学期ぐらいは余裕があるのですが、後半に焦りを感じられる先生が多かったです。
あと半年、実際の子どもの姿と残り時間の関係に神経を費やされていました。
そこからあせりを感じておられました。
そして、知らず知らずの間に「高圧的態度」を取り続けておられたようです。


それとは違ったタイプの先生もおられました。
幼少のころから勉強においてエリートコースを歩いてこられた先生
学習ができない子どもを理解できないようでした。
目の前の子どもが怠けることに「私はそんなことはなかったのに、あの子はどうして・・・?」という思いを持ち続けておられました。
この先生は3回ほど同じように学級崩壊を起こされました。
一度、起こされると再度、同じことがおきてしまう先生を多く見てきました。


その先生のまじめさにあったり、上から目線で子どもを見下ろすことにあったりしました。
まわりの先生は、たまたま面倒な子どもたちに出会ったのだからと慰められます。
しかし、本当の原因は、先生としての人間性であることが多いです。
私も人間的にはだめですが、少なくとも自分でそれなりに自覚していました。
自覚していないと子どもたちの行動ばかりを責め立てることになるからです。
子どもがだめなら先生(私)もだめ。
先生(私)がだめなら子どももだめ。
だから、お互いに同行者として歩んでいく覚悟が必要です。

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