教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 590回 学級崩壊 二学期、三学期の姿

学級崩壊、少なくとも集団での学習が成立しにくくなっている学級。
定義や基準はいろいろあるようです。
実際に現場の先生は、自分の学級の崩壊を認めたくありません。
それは、自分が先生としての力量を外部から問われるからです。
したがって、月一回程度の生徒指導連絡会においては、「特にありません」が今でも多いようです。


一学期の学級崩壊
一学期の崩壊は、パニックボーイ、パニックガールに先導されるケースが増えています。
ある学校では、学級にパニックボーイが現れると、個別に担当者をつけて、支援の名のもとに囲ってしまうことがあるようです。
最初から、あの子は特別問題児というレッテルがはられています。
今、学校は、問題になる子どもがいると、精神的問題があるとして対応しています。
もちろん、一部の学校かもしれませんが・・・。


二学期の崩壊
二学期以降になると、先生と子どもたちの人間関係に根ざす深刻な場合が多くなります。
ここにきて、子どもたちは、先生の言動の不一致を見抜いてきます。
最初は、先生の思いに従っていた子どもたちにストレスが生じます。


三学期の崩壊
三学期になると、深刻の度合いを増し、解決できなくなることが多いです。
担任以外の先生が授業をしても同じ結果になります。
管理職が後ろにたって参観しているだけで、子どもたちは担任の能力に不信感を持ちます。
あと、一か月で新しい担任、学級になるとわかっているのに、子どもたちは行動を起こします。


教室に入ろうとする担任をドアをふさいで入室できないようにします。
授業中は、先生を無視する子が多くなります。
一部の子どもに他の子どもたちが行動を合わせるようになります。
先生が叱れば叱るほど、子どもたちは先生を困らせることに快感を持ちます。
今までがまんしていた語ともたちの先生への復讐の始まりです。
6年生の卒業式、証書授与の返事、歌声、わざと小さな声で対応していました。
これが、6年間、学校が子どもたちを預かった結果なのかと寂しく感じました。。


ネット授業になれぱ、このような学級崩壊もなくなるはずでした。
ところが、ある学校での事件です。
パソコンをネット授業のため、全員の子どもに一台ずつ持ち帰らせました。
そのうちに、そのパソコンを使って、いじめのメールが拡散されたそうです。
保護者からの一報でわかったそうです。
学級崩壊、子ども社会の崩壊・・・
信じられないような話が耳に入ってきます。
新しい教育と言われても、子どもの集団のひずみが起きています。
子どもの一人ひとりの事実を凝視しなくなると、やがて、子どもたちから裏切られることになります。

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