教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 586回 対話は 誤解をしあうこと

一つの問題を子どもたちがノート使って考えます。
そこには、子どもたちの既習内容を活用したわかり方の枠組みができます。
習ったこと、考えたことの枠組みの中でしか考えることができません。
二人の子どもが対話します。
そうすると、そこは、お互いが自分の枠組みでとらえた考えの交流から始まります。


話を聞くということの最初は、自分の理解した枠組みのなかに相手の考えを当てはめることです。
相手の考えを本当に理解することはできません。


しかし、対話がうまくなるとは、心のなかで相手の立場にたてることです。
相手の心に寄り添って聞けるようになることです。
自分の考えを前面に押し出して比較・吟味するのではありません。
まず、自分の考えを後ろに下げて相手が伝えたいことを無条件に引き受けます。


〇〇くんの言いたいことは、こういうことかな。
○○くんの言っていることでわかりにくいところがあるんだけど。
本当に、ぼくは、○○くんの伝えたいことがわかったのかな。


話し手からすると、
ぼくの言っていることが本当につたわったのかな。
ぼくの話し方がうまくなくて、うまく伝わっていないかも。
このように、話し手、聞き手の双方が誤解しているかもと思うことが大切です。


相手の立場にたてるから、対話ができます。
相手と対話することで、自分のなかに相手が入ってくるようになります。
対話は、お互いの枠組みをはずしあって、新たな発見をすることです。
二人の意見がA+B=Cとなるような対話が生まれるといいですね。


これは、話し合い活動のすべてに言えることです。
自分の意見を出し、話し合うことで自分の考えが膨らみ変容していきます。


一人の子どもが解決の仕方を説明したとします。
他の子どもたちに「どんなことがわかったか?」と質問します。
それぞれが理解したことを言わせます。
黒板に書きます。
そして、書かれたものを見ると、分かり方が少しずつ違っていることに気付きます。
聞くことは、お互いに誤解しあうことから始まっていることに気づかせます。。
そこから、聞き直したり、聞き正したりすることが必要になります。
次回に続く

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