教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想582回  すべての話し合いは 対話である

学習内容、目標を遂行することを通して、子どもたちの支持的機能を遂行できるのが話し合い活動です。
特に、学習を通しての話し合いは、子どもたちの学習意欲を膨らませます。
友だちと学習内容を学び合うことそのものがお互いの理解につながります。


私が話し合い学習に関心をもったのは、教員になってから3年目の時でした。
子どもたちは将来、社会の一端を担います。
集団に寄与できる子どもたちになってほしい。
集団から学ぶことで、自己育成のできる子どもになってほしいと願いました。
教育は、最終的には、自己改革できる子どもを育てることです。
生涯、生き抜ける力のために少しだけの基盤をつくることです。
本当に少しだけです。
ほとんどは、子どもたちが自力で進めるようになればいいです。


さて、話し合い学習においての指導を考えます。
そのための段階的な場面があります。
①ノートによる自問自答
②二人による対話
③先生と子どもとの対話
③班を活用した小集団学習
④全員による話し合い学習
⑤学習目標を達成するための話し合い学習(小集団・全体集団)


以上の指導は、段階的指導であったり、同時指導であったりします。
全体の話し合いのなかで対話、小集団の話し合いを指導します。
それぞれが密接に関連しあっています。
本来は、単独で指導できるものではありません。


その前に、これだけは気を付けてください。
話し合いは目標を達成するための手段であって、話し合いそのものが目的ではありません。(話し合いだけで1時間が終わってはならない)
ややもすると、表面的な話し合いの子どもたちの姿にこだわってしまうことがあります。(見栄えがいいから)
話し合いを通して、学習内容が深まっているかどうかです。
子ども一人一人が自分の広がり、深まりを感じたかどうかです。

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