教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 579回   防衛的集団 と 支持的集団

学級づくりがうまくいっていると授業が成功しやすい」とか、「授業の基盤は学級経営である」と言われていますが、果たしてそうなのだろうかという疑問を抱きます。


もし、そうであるならば、学級づくりは,何をもとにして実行するのでしょうか。
学級指導と特別活動、生徒指導なのでしょうか。


学級がうまくいっているというのは、子供たちの仲がいいとか、やさしいとかいうことなのでしょうか。
いわゆる共同的な集団を意味しているように思えます。


学級集団が、一日の中で,一番多くの時間をさいているのは学習指導です。
学習を通して、集団としての質を高めていくのが学校であると考えます。
学校は仲良しこよしを育てる集団ではありません。


野球チームは、練習や試合を通して、チ-ムの質が高まっていくものです。
試合に勝ったり負けたりしながら、その原因を練習の中でお互いが克服する事を通して、チ-ムが優勝をめざした支持的な集団(支え合い)に変貌していきます。
野球以外で集団が高まっていくことはありません。


したがって、授業[学習指導]も同じです。
学習指導、学び合いを通して、学級集団がお互いを認めあい、支え合うものに変わっていきます。
支持的集団の誕生です。


今、現実の学級は、自分の主張が強すぎる子どもが多いと聞いています。
ある学級では、相手に迷惑をかけても謝らない子どもが多くなったそうです。
自分の権利ばかりを主張して、他の友だちの考えや思いに、心を傾けようとはしません。
「自分は悪くない」だから、「おまえが悪いのだ」「先生が悪いのだ」と自分を防衛することばかりを考えています。
大人の振る舞いを見て、自分を正当化するすべを知っているようです。
防衛的集団は、自己権利主張のたまり場です。


集団は、相手のために自分の行為を一歩引き下がらないと成り立ちません。
バスや電車を並んで待つのは、それぞれの都合を少し控えているからです。
ある国では、決して並ばないそうです。
我も我もの世界です。
他人を押しのけても先に乗車しようとする集団です。


学級集団がお互いの活動を支持する方向性をもたせるのでしょうか。
それとも、自分だけの世界を防衛しようとする世界に先生も引き込まれていくのでしょうか。


今、子ども社会は、大人社会の縮図になりつつあるのかもしれません。

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