教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 6回  学校の責任 保護者対策

昨今、学校が保育園化しています。
 ひたすらけがのないように、問題を起こさないように心がけて、子どもたちを託児所のごとく預かっている場になっているところがあります。
 そうではないという学校も多いかと思いますが、一方では、保育園化が進んでいます。


 問題というのが、ほとんどが保護者対策です。
子どもを育てる上で、ともに協力関係を築かなければならない保護者を対立関係としてとらえています。
 問題がおきた時の学校の対応をみていると、そのように思わざるえません。


 ある学校では、保護者と面談するときは、担任だけで会わないで、もう一人、先生が同席するようにという指示が出されています。
 あとで、証人となるためです。あとで、保護者が言った言わなかったともめないためです。


 保護者は、担任だから話せることもあると思います。
 逆に、担任だから話せないこともあります。
 その場合は、管理職と面談すればいいことです。
 ある場合は、担任一人にすべてを対応させ、結果が悪いときは、担任に責任を押しつけている学校もあります。


 学校長は、出張でかなりの時間、学校を開けます。先生が子どもたちにどのように指導しているかなど、よくわかっておられない方もおられます。
 私は勤務校の管理職に恵まれていました。
 各教室をまわり、学級の様子を把握し、ときどき、授業についてのアドバイスも受けました。
報道等で問題がおきると、決まって管理職は「聞いていませんでした」という答えがかえってきます。聞いていない以前に、見ていなかったというほうが正しいでしょう。


学校は、保護者の責任追及を恐れて、責任問題が発生しないようにします。
先生も時には、責任を免れるために、子どもたちのトラブルの間に割って入らなくなります。こうして、いじめは黙認されます。


 学校の中でいじめが気付かないということはありません。ただし、ネット社会においては、潜在的に進行していることがあります。
 それでも、生徒や子どもを日々見守っておれば、なんとなく感じるものがあるはずです。


 管理職は、先生の個性的な指導を嫌います。
 問題になることを恐れるからです。
 まじめな先生ほ、学校の中では壊れていくことがまれにあります。
退職された人もいました。


 学校の核は「学び」です。
 学びがいのある学校にしたいものです。
 それをめざして、がんばっている学校もあります。
 一人孤軍奮闘しておられる先生も


 そのためには、保護者の協力が不可欠ですね。
 ともに、同じ方向をめざして歩む必要があります。

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