教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 5回 授業の三つの目標

人気レストランがあります。いつも列ができていました。やがて、その列も短くなり姿を消します。人気店にありがちな奢りがさらなる改革、改善を求めなくなります。そして、閉店です。


 先生の教育実践も同じです。この方法は成功したと思った瞬間から下降線をたどることがあります。
最高だなと思った瞬間から下っていくようです。
頂点は、下りの入り口ですね。
これに気付かなくてどれだけ失敗したことでしょう。


学級づくりや授業実践も同じことがいえます。
これが最高というものはないです。
いつも「しまったなあ」という思いを残します。
たとえば、授業の場合です。
 授業の目標には、三つあります。
 一つは、一時間の授業目標です。なにを教えるか、なにを理解させるかという短距離目標です。
 二つめは、学校目標です。人格形成の問題、どのような子どもを育てるかという遠距離目標です。
 思いやりのある子、がんばる子、たくましい子などです。
 三つめは、遠距離目標と短距離目標の中間にある教科目標、中距離目標です。
 教科学習を通して、どのような考え方、子どもを育てるのかという目標です。


 一時間の授業には、この三つの目標が同時に進行します。。
 春の生物の野外観察を通して、どんなことを理解すれば、気づけばよいのか。そして、その学習を通して、どのような科学的な思考を身につけさせられるのか。さらに、そのことがどのような人間になることを期待しているのかということを常に考えた指導案でなければならないと考えます。


授業参観をしても一時間の目標はあっても、学校教育目標がありません。
学校教育目標到達のための授業実践です。
教科目標はそれなりに意識されていることがありますが・・・。 


しかし、ふだんの授業においては、教科目標をめざすだけに追われていることがあります。毎日、毎時間の授業計画を入念にすることは難しいです。
それでも、「教科学習を通してどのような子どもを育てるのか」という意識だけは、持っている必要があるのでしょう。

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