教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 58回  教育のヒントは 日常にあり

く見かける風景です。
その様子から母親の子どもへの気遣いや愛情を感じます。


事例1
保育園の迎えのバスを待っている若い母親たちがいます。
母親は会話に夢中になっています。
その横で、3人の子どもたちが走り回っています。
歩道ぎりぎりのところまで追いかけっこしています。
母親は、楽しそうに会話をしています。


事例2
車が頻繁に往来しています。
その道路の横を母親が幼い子の手をつないで歩いています。
本当に車がよく通っています。
手をとって歩いている親子です。
子どもは車道側を歩いています。


事例3
公園で親子が遊んでいます。
子どもが「お母さん、見て見て、虫がいるよ」と呼んでいます。
母親は、スマホに夢中です。
子どもはがっかりした顔で、虫を追っていました。


事例4
乳母車に幼い子を乗せて町を歩いておられます。
乳母車の子どもは進行方向を向いて乗せられている時と、反対に、進行方向を背中にして乗せられている時があります。
後者は、母親と子どもとがたえずアイコンタクトをとっています。


事例5
「お母さん、あの花きれいだよ」と母親に話しかけています。
その母親は「何してるのよ、早く歩きなさい」と子どもをせかしていました。どこに行くのでしょうか。子供に共感できない、余裕のない親。


事例5
お店の中のこと。
子どもが店内を走り回っています。
母親は「他の人の迷惑になるでしょ。いつも言っているでしょ」と周りの人に聞こえるように声の音量をあげている母親。
なぜ、声高に話すのでしょうね。


事例6
「何ぐすぐずしているの」「○○(名前)こっちにこい。この荷物持っておけ」と子どもに命令する母親。一瞬、誰が話しているのか振り返った私。
子どもが親にとってペット感覚になっています。


事例7
懇談会。母親の中には着飾ってこられる方も多いです。
それなのに、どうして、その母親の子どもの服装はみすぼらしいのでしょう。
穴があいていてもほったらかしです。
洗濯も行き届いていません。
母親と子どもの身なりの落差が気になリます。


事例8
家庭訪問。
学校でいつも笑顔を絶やさない子どもがいました。
この子の母親はどんな人なのか関心をもって家庭訪問に出かけました。
お会いしたとき、「やはりそうだった」と思いました。
お母さんの明るく優しい笑顔が印象的でした。
この母親にしてあの子どもなんだと感じました。


事例9
町を歩いていると、いろいろな場面で我が子に厳しく注意しておられる母親がいます。
公共の場において「静かに座っていなさい」
レストランでは「周りの人に迷惑になるから静かに食べなさい」と注意されていました。
決まって大きな声で話されるところがおもしろいですね。


事例10
母親が子どもに、勉強の仕方について指示をだしています。
一通り話したあとの決めぜりふ。
「お母さんの言うとおりにすればまちがいないからね。わかったね。」
私も子どもの頃に母親からよく言われていた言葉です。
そのたびに「どうしてぼくの思う通りではだめなのか」と少し反発していました。


親を先生に置き換えてください。
すると先生も同じようなことをしていることがあるものです。
そのたびにしまったと思いました。


いろいろ事実をあげてみました。
人によっていろいろな見方があることでしょう。
また、親子のつながりは、外からだけでは、わかりかねることもあります。ですから、私は、その事実を否定するのではなく、「なぜ、そのような言動がでてくるのか」ということに教育を考えるヒントがあると思っています。
ありがたい場面に出会わせてもらっていることに感謝です。


教育のヒントは日常生活の中にあります。

×

非ログインユーザーとして返信する