教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 560回  指示は、子どもの自由を奪う

教育において、「指示」、そして、「導く」、これをあわせて「指導」と言います。
指示することで、学習過程がすっきりします。
指示することで、子どもたちは学びやすくなります。
明確で適切な指示は、学習を効率的に目標まで到達させることができます。


指示にもいろいろあります。
席に座りなさい。
静かにしなさい。
こちらを向きなさい。
教科書を開きなさい。
筆記用具をだしなさい。


今日、学習するところを読みなさい。
読んで自分で考えなさい。
ノートに書いて考えなさい。
わかったことを発表しなさい。
他の考えもだしなさい。
おかしいと思うところを言いなさい。
わかったこと、感想をまとめなさい。
またまだ一時間の授業における指示は多くあります。


指示は必要です。
しかし、上記のような指示が必要なのでしょうか。
リモコンでロボットを操作しているようにも感じます。


指示の多用は、子どもの学習活動や思考を拘束します。
指示の多用は、子どもの考える自由を奪うことがあります。
指示は、子どもの学習を拘束し、自由を奪うことです。
これは、指示に対して、一つの側面をお話しています。
だから、決して、指示がよくないということではありません。


「静かにしなさい」という指示は、子どもたちが自分で状況を考えて「今は、静かにする時だ」と考える、気付く自由を奪うことになります。
自分で気付いて静かにしているわけではないので、限りなく「静かにしなさい」という指示が必要になります。


先生の子どもたちに対する指示を見ていると、子どもたちが頭や心を動かす前に指示をだしています。
まず、次は、なにをしたらよいかを考える時間、間合いが必要です。


学習の始業チャイムがなります。
それだけで、子どもたちは席につき、教科書をだします。
今日、学習するところの教科書のページを開きます。
さらに、学習のめあてを考えます。
ここまで、先生は、ほほ笑んで子どもたちを見守るだけです。
中学年以上の子どもたちには可能です。


指示は子どもたちの学習活動や生活を受け身にします。
椅子に座って、先生の指示を待ち、説明を待っています。
指示の多用は、子どもを自分の意思で動けないようにします。


指示を極力減らすと、それに、反比例して子どもの思考活動を大きくなります。
自由に考えるようになります。
試行錯誤でもって活動するようになります。
給食、掃除の時に、毎日、先生の口から飛び出す指示。
「給食の用意をしなさい」「掃除を始めなさい」
このような指示は、4月で終了しているはずですね。

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