教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 561回  子どもが成熟しない

家庭の役割は、共同体社会に出ていくための準備場所です。
学校とか社会の一員になってくための「大人になるための通過儀礼」の場であるはずです。
しかし、子どもたち見ていると、延々と「子ども生活」を演じ続けているように思えてなりません。
子ども生活から一歩も進化しない有袋類の子のような気もします。
もちろん、これは、一面的だとお叱りを受けるかもしれません。


小学校一年生を担任することが多い先生は、すでに気付いておられると思います。
入学してくる子どもの幼さを感じていると言われた方もいます。
自分本位の行動から抜け出せない子どもも多いということです。
保護者に伝えると、先生の指導が悪いのではと反論されるそうです。
そのような保護者は、決して、自分の子育てを振り返ることはありません。


懇談会などで、親から手でくる言葉があります。
先生、うちの子は言葉が悪いので困っています。
先生、落ち着きがなく大変です。
先生、親の言うことをちっともきかないのです。
先生、家で本を読まないです。
先生、うちの子どもは、机の前にすわることがありません。


そうです、「先生、先生・・・」
学校でなんとかしてほしいという保護者もおられます。
決して、多くはありませんが、その数は増えてきているそうです。


少し話がそれましたが
家庭教育は、子どもたちの基本的な礼儀、知識、習慣を身につける場所です。
家庭から一歩外へ出ても、対処していけるようにする場だと考えます。
もちろん、家庭だけでできないこともあります。
だから、学校教育は、家庭教育の矯正の場なのです。


社会で生きていく精神的な強さ、社会的な礼儀、マナーを身につけている子どもが少なくなっていると、あるベテランの先生が言われていました。
今、教育の場で、子どもが成熟しないで、身体だけ大きくなっていくように思われます。


成人式を見ても、大人になれない、子どものままの大人が式場を騒がせていることがありましたね。
子ども至上主義とはいいませんが、子どもは、未来の社会を支える大切な財産、人材です。
その子どもたちを家庭、学校が本気で育てていかなければ、共同体の根本が揺らいでいくように思います。

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