教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 556回  自発的に動けない子に出会って

自主的・主体的・自発的というスローガンが学校目標のどこかに入っています。
自分のことは自分でしよう。
自分から進んで行動しよう。
掛け声だけが空しく通り過ぎていきます。


自発的な子どもという場合、一つの危険性があります。
それは、大人側の期待にそった自発的な子どもをめざしていないかです。
先生が期待する自発的な子ども。
教室や校内の生活だけの自発的な子ども。
いわゆる、「いい子」づくりの危険性があります。


私の出会った子どもで、とてもまじめな子がいました。
自分から進んで勉強したり、学級の活動をこなしたりしている子でした。
先生が指示することもなくこなしていました。
ところが、私は、その子が不自然であると感じました。
自発的に動いているのに、もう一つ覇気がないのです。


その子の家庭教育は、厳格な両親によって育てられました。
特に、母親との関わりが強かったです。
人間が自発的に動くと、自由な考えをもって活動的になるものです。
しかし、その子(彼女)は違っていました。
ある時、彼女は、自分がまじめになんでもこなしていることがしんどいと漏らしました。
彼女の話を聞いていると、小さい時から親の期待に応えようとしていたとのことでした。
学校においても、先生の期待に応える自発的な子どもを演じていました。


家庭でも学校でも、まじめな子どもほど、周囲の大人(親・先生)の期待に応えようと努力してきました。
気が付いてみると、自分の中に自分の居場所かなくなっていたのです。


子どもが本当に自発的に活動し始めたら、先生の指導の枠を飛び越えていくはずです。
大人が管理するなかで、子どもに期待しすぎると、子どもを良い子にしてしまうことがあります。


そのようにならないためには
子どもの意思決定を一番大切にします。
先生の助言を受けても、最終的に子どもに自己決定させます。
その自己決定には責任を持たせます。
その結果については、決して、子どもを責めることはしません。

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