教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 56回 引き寄せ、寄り添って、 離していくのが指導

私のところに勉強に来られている先生が、低学年を初めて担任されました。
「高学年よりも低学年のほうがエネルギーをいっぱい使っているような気がします。
指示をださないと次の活動に進まないことが多いです。」
と言われました。
その先生がおっしゃるには、「まるつけをします。」と言っても子どもたちはきょとんとして、「先生、赤鉛筆をだしていいのですか」とたずねたそうです。
その先生は、自分の指示が荒いので、子どもたちに不安や戸惑いを与えてしまったのではと反省されていました。


低学年を指導する時、一つ一つの動きに先生が指示をして、勝手な行動をさせないようにされていることがあります。そのほうが、先生の指示が入りやすいからです。
一年生の場合、ワンセンテンスの中に、指示することは一つだけにします。
「筆箱をだして、鉛筆をと消しゴムをだしなさい。」
取り出すものを3つ指示しています。
筆箱、鉛筆、そして、消しゴムですね。
一年生の4月においては、一つの文の中に一つだけの指示をします。
「筆箱を机の上に出しなさい。」「鉛筆を1本だしてごらん」「消しゴムもだします」


バカ丁寧なぐらい、一つ一の指示が明確に子どもの心まで通っているかを確かめながら、次の指示を展開します。
ていねいに指示をだすことは、子どもに寄り添うことです。
最初はそれでいいですが、これを1年間されていたらどうなるでしょうか。
やがて、先生の指示なしに動けない子どもになってしまいます。


子どもの指導は、「引き寄せ、寄り添って、離していく」ことです。
最初は、先生の指示を聞くように引き寄せます。
次に、その指示を減らしても、子どもが自分の考えで主体的に動けるように離していきます。


「まるつけをします」と指示したら、赤鉛筆を自分でだせるように待ちます。
子どもが赤鉛筆をだしていいのかと聞いたら、「あなたはどうしたいの?」と聞き返します。その子に判断を任せます。
授業が始まるときは、子どもたちは教科書をだし、本もノートも開いているように指導します。


言葉で指示して子どもを動かすのではなく、言葉を減らして、けちって、出し惜しみすることで、子どもたちを主体的にしていきます。
まして、その先生は2年生の担任です。


1年生の時のままの動きになっています。
「先生は、給食当番を給食室に連れて行くとき、エプロンの指示から整列まで、口うるさく言われていますね。」と私は話しました。
1か月たったのですから、先生が廊下に立ったら指示しなくても準備をして整列できるようにならなければなりません。
引き寄せて(細かく指示)離していきます。


先生は子どもの動きが待てなくていらいらするのです。だから、言葉を機関銃のように発してしまいます。
言ったら黙って、見守る、指示したら子どもの動きがでてくるまで「待つ」ことが必要です。
ただ、待つのではありません。
ヒントをだしながら、さりげない助言をしながら・・・待つのです。

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