教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 518回 わかったことで終わる?始まる? 授業

「わかりましたか?」「わかったよ」という問答で終わる授業。


学問とは、「学んで問う」と書きます。
学べば学ぶほど、わかったつもりが、さらに、分からないことが増えてきます。
物事を探究するとき「わかったなあ」で終わると、それ以上、学ぶことをしません。
思考停止です。


授業で最後に「わかったことのまとめ」という場面が設定されます。
学んだことを整理し直す意味では大切な作業です。
しかし、ほんとうは、わかったことから先のことが大切ですね。


3年の理科の教科書があります。
「植物の育ちとつくり」の学習のまとめがあります。
「植物の体は、どれも根・茎・葉からできている。」
「葉は茎についている。」
「根は茎からつながり、土の中に広がっている。」
となっています。
子どもたちは、上記のことがわかればよしとされています。


ここで終わってしまっていいのでしょうか。
「植物の体は、どれも根・茎・葉からできている。」
「どれも」とあるが、本当にどれもなのだろうか。
葉は茎についているが、葉の役目は何か。
植物によって、葉の付き方が違っているのはどうしてか。
葉はお互いに重らないようになっているのはどうしてか。・・・
いろいろわからないことが子どもたちから疑問としてでてきます。
これらは、高学年で学習しますが、疑問の広がりは、学年とは関係ないです。


結論は、終わりではなく、「学びの入り口」です
授業の最終場面で、まとめに入った時、子どもたちから質問がでるような学習指導が望まれます。
授業者は、教えることが目的ではなく、それを通して、子どもたちから質問を引き出すことが目的ではないでしょうか。
よい質問を引き出すことです。


学びは「問い」です。
問いかけながら学びます。
質問を引き出すには、すべてを教えないようにします。
子どもたちが、そこにわからなさを生み出せるような空白を残します。


これらのことがうまくできなかったことで、「総合的な学習」がつまずいてしまいました。
先生は教えるのではなく、子どもたちが問いをだしながら学び続けるのが、総合的な学習のねらいでした。

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