教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 517回  学びの入り口は感動 教え込む前に

学びの入り口は感動です
感動することで、より深く学ぼうとする意欲が生まれます。


登山に知り合いの先生と出かけたときのことです。
その先生は、植物がとても好きでした。
登山道を登りながら、野草を見つけて、それぞれの名前を紹介してくださいました。
ていねいに教えてくださることには感謝しました。
しかし、何か違うなあと感じていました。
そうなのです、私が、その野草に感動する前に名前と生態について説明を受けます。
もっとじっくりと野草の前で佇み、その雰囲気を味わいたいと思ったものです。


旅行に出かけることがありますね。
ガイドの説明や知り合いの案内を受けます。
観光地について説明を受けます。
観光バスに乗ると、見学前に観光地の説明を受けます。
それから、現地に向かいます。
観光地について、何も知識がないよりは、少しはあるほうがいいのでしょう。
しかし、私にとっては、前もって、見学場所の説明を受けることで、先入観をもつことになります。
できるなら、何も知識を入れないで、自分の素直な感覚で観光地を捉えたいと思いました。


友人とレストランに出かけると(高級レストラン)、時々、連れて行ってくれた友人は、「この料理これぐらいの金額だよ」とか「どこで修行をしていたシェフの料理だよ」と、私に先入観を持たせます。
料理は、金額に関わらず、私にとっては、食物を口にした感動体験です。
毎日の食事であっても、そこには、感動をもてることが幸せと思っています。。


野草の名前、旅行地の知識、料理についての解説・・・知識を教え込まれると感動の心が奪われるようです。


学習指導も同じです。
教えることは大切ですが、教え込みすぎると、、子どもたちの感動の心を奪うことになります。
子どもたちが教材(学習材)に出合ったら、「すごーい」「ふしぎだなあ」「あれ、どうしてそうなるの」などの感動体験が、学びの入り口になります。、


授業の導入は、子どもたちの心情、感性をゆり動かすことです。
導入の目的は、子どもたちの心に感動を呼ぶことです。
「たんぽぽの花は、多くの花が集まったものです」という知識を与えるのではなく、「たんぽぽの花のなかをのぞいてごらん」「手を使ってみてごらん」と働きかけます。
すると、子どもたちは、その花びら(花)の多さに感動します。
感動した子どもたちは、より強い意欲でたんぽぽに迫っていきます。

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