教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 516回 具体的事実のなかに、教育の本質を考えるヒントあり

思春期の子どもの起こす問題は、社会の想像をはるかに超えて、多岐にわたると同時に深刻さを増しています。
不登校、引きこもり、家庭内暴力、校内暴力、拒食症、過食症、薬物乱用、恐喝、窃盗、家出…枚挙にいとまがありません。


ネットは、子どもたちを裏社会に追いやっているとも言えます。
良い情報も手に入れられる反面、悪いこともつながりあえる状況です。
表面的に表れている子どもたちの行動では思いもつかない、裏のネット社会でつながり合っています。
さらに、気になるのは、表面上は、特別問題のない「ふつうの子」が、突然、問題を起こす傾向が増えてきています。


勉強会で来られている先生の学校でも、突然、暴力をふるいだした子ども、階段を歩いている子どもの背中を押す子ども、先生に暴言を吐く子どもなどが見かけるようになってきたということです。
しかし、その対応については、その子と保護者に注意を促すということで終わっているようです。
このようなことを特別なこと、例外的なこととして処理したいようです。
個々に起きている子どもの問題を正面から取り組もうと。しません。


子どもの具体的事実のなかに、教育の本質を考えるヒントがあるはずです。
子どもの事実(結果)には、そこに至った原因があります。
その原因を学校が教育に求めるのは当たり前のことです。


職員研修では、基礎学力の充実、教育のIT化、対話のある学習などが課題になり、具体的に起こっている問題を遠ざけています。
どのようにしたら学習指導を効率化できるかが研修テーマになっています。


現実に起こっている子どもたちの事実に向き合うことです。
教育実践は、子ども一人ひとりの事実から生まれます。
その事実からはなれて、観念的になっています。
教育目標というスローガンだけが、校長室の額縁におさまっています。


ヒトを育てることは、次の時代を見定めて、それに適応できる人間に子どもを育てることではないのでしょうか。

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