教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 513回 成長 自覚から 自立へ そして自律

子どもたちの成長とは、どのようなことを意味するのでしょうか。
子どもたちは、幼い時から、親や大人の指示によって教育されています。
子どもの足りないところを補います。
「もっと、きちんと片づけなさい。」
「もっと、ていねいに漢字を書きなさい。」
「計算したら、もう一度確かめなさい。」
「あいさつをきちんとしなさい。」
「これも栄養があるから、残さずに食べなさい。」
このようなことを言われながら、子どもたちは過ごしてきました。
大人が子どもたちの様子を見かねて、あるいは、指摘するのがよいと考えて、逐一、指示してきました。
多くの場合、先生は、これらの指示のことを「指導」と言われます。


このような指示のなかで、大人になるまで生きていったらどのような人間になるのでしょうか。
ある時、高校の先生が最近の学生について語られました。
「教室のなかが暑くても、窓を開けたり服装を調節したりする子が少なくなった。」
誰かに指示されないと気づかない生徒が多くなってきているとのことです。


子どもの成長の最初にあるのは「他立」です。
自分の足でたっているのではなく、誰かに寄りかかりながら生きています。
そして、ここからが大切です。
上の言葉が子どもたち自身の口から気づきとしてでてくることです。
「もっと、きちんとかだけなくては」
「もっと、ていねいに漢字を書かなくては」
「計算をしたら、もう一度、間違いがないかを確かめないと」
「今の挨拶は、まずかったかな、元気がなかったぞ」など


これが「自覚」の世界です。
他立から自覚の世界に入ります。
自覚とは、振り返って、自分の行いや考え方を見直すことです。
自分の足りない部分に気づくことです。
この「自覚」ができるようになると「自立」ができるようになります。
さらには、「自律」する子どもたちが育ちます。


自覚させるには、与えすぎないことです。
説明や指示を与えすぎないことです。
最初は言葉かけをしても、静かに待つようにします。
子どもが自分で振り返るべきことには、手をださないようにします。
子どもたちが自分の勉強の仕方を振り返られるようにゆとりを与えます。
先生は、一から十まで指示、説明の連続です。
子どもたちの環境を整えて「静かに待つ」ことです。
子どもたちに話しかける時も、子ども自身が言葉を考えなおす間を取るようにします。
自覚は、あくまで子どもたちが自分の力で「あっ、そうだったのか」と気づくことです。

×

非ログインユーザーとして返信する