教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 512回 新米時代が気力も最高だった?

教員生活の時代で一番熱意に燃えた時代はいつでしょうか。
先生の駆け出し時代であったという意見を多く聞きます。
そして、なんとなく定年で退職します。
教育に対する熱意は、新米時代が最高で、年を経るごとにその意欲薄れていく先生も見受けられます。
50代においては、過去の実績の集大成として、自己最高の教育記録を更新して定年を待つ、これが職業人としての歩みだと考えます。


しかしながら、そのような気持ちを持ちながらも、実際においては、どれだけ更新できたかは怪しいものです。
ただ、言えることは、年を重ねるごとに子どもたちと生活していることで、元気になっていくように思えました。


若い時に、退職前の先生が肩を落として廊下を歩いている姿をしばしば目にしました。
先生という仕事は、経験を積めば積むほど、教材研究、児童理解、指導技術において、高いものが身につくものだと考えていました。
しかし、年齢とともに、体力、気力がおちていくと、いつのまにか教育熱が低下してしまうことがあります。
そのような時、子どもたちの生きる姿、そのエネルギーを身体に浴びることで、より元気になったものです。


長男が勤めている会社は、実績をあげ、昇任試験に合格していかないと、その企業における存在感がなくなっていくようです。
だから、定年まで気が抜けないと話していました。
すべての会社がそうではありませんが、企業の実績に関わっていく仕事である限り、前向きに自己研鑽を積む必要があります。


教員の世界は、ある程度の知識と技術、事務力が備わると、それだけで定年まで無難に過ごせる仕事です?

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