教育随想 4回 追試もいいのですが・・・
名人と言われる人の実践書が書店にならんでいます。一時は、教育技術法則化運動の参考書が山積みざれている時もありました。
実践報告の会やサークルに招かれて参加したこともありました。若い先生の熱意を感じました。
実践家の授業実践をそのとおりに実践します。
「こうすれば、子どもは変わる」「子どもを意欲的にする十の法則」など、歯切れのよい文言が飛び交いました。
私は、法則化を否定する者でもなく肯定する者でもありません。
右も左もわからない若い先生にとっては、たよりになる実践書です。
「子供の目の輝きが違った」「子供が元気になった」などの感想が聞かれました。
それはそれで悪くないことですね。
現場では、他人の実践を物まねしても自分の身につかないという批判もありましたが、実践書さえ読もうとしない、物まねさえできない先生の方が問題であると思ったものです。
私は、時々参考にさせていただきましたが、ほとんど使うことはありませんでした。
美しく咲いている庭の花を切り取って玄関に生け花として飾っているようなものです。根っこがないのです。
その先生の技術の根底にある教育観、子ども観、授業観が何かを探ることが大切だと思いました。他人のものを自分の畑に植えても、なかなか育ちません。
実践されている若い先生が名人であると自称することに危惧さえ感じたものです。
入り口は法則化(マニュアル)であっても、やがて、退場して自分で地道に教材研究をしていくことが必要です。
教育や授業は、自分の能力の中でしか育ちません。
技術、マニュアルを取り入れるよりも、自分の先生としての基礎的な能力を向上させることが大切です。
子どもはマニュアルだけでは育てることはできません。できたと思う先生がおられるとしたら傲慢です。
名人よりも迷人になることです。
自分の実践を肯定したときが自分の先生としての終着点になってしまいます。