教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 408回  先生は 止まることなく 滞ることなく

次男夫婦が帰ってきています。
一週間前に、はじめての子どもが生まれました。
嫁は、本当に疲れた様子でした。
この一週間でかなり回復したようです。


今回は、息子夫婦の様子を取り上げます。
赤ん坊が泣くと、二人で交代して抱いています。
赤ん坊の表情をいつも覗き込むように見入っています。
かわいくて仕方がないのでしょう。


二人が私の妻に尋ねています。
これからどのように育てたらいいのかよくわからない。
人に尋ねて聞いてみても、しっくりこない。
育児書にいたっては、筆者によってまちまちであるということ。
息子たちは、赤ん坊の未来を思いめぐらしているので楽しそうです。


赤ん坊のことはあまりわかりません
でも、私は、少しだけ話しました。
「今、あなた方二人が子どもから目を離さず、いろいろな表情をくみ取ろうとしていることが素敵だね。赤ちゃんの様子をしっかりと見守るしかできないと思います。」
それに付け加えと、育児書や他人のアドバイスは参考にしていいけど、出発は目の前の子どもの表情や振る舞いであると伝えました。
育児書の知識を目の前の子どもに当てはめないようにしたほうがいいのでは。


学校においても同じことが言えます。
先生は、子どもを自分のフィルターをかけて見てしまいます。(仕方がないことですね)
子どもを行動別にパターン化するようになります。
先入観で子どもを見て、過去の経験で指導するようになります。
ベテランの先生ほど指導経験は豊富です。
しかし、その経験が子どもたちを固定的に捉えてしまうことがあります。


新しく出会った子どもは、先入観を持たずに関わりたいものです。
しかし、過去に自分の指導した子どもたちの顔が浮かび、その子と類似していると思うことで、知らない間に目の前の子どもを固定的に見ていることがあります。


初めての赤ん坊を前にした息子夫婦は、経験がない、知識の蓄積がないことで、赤ん坊の事実を素直に受け入れることができるようです。
この気持ちが新しく子どもたちを迎える担任に必要ではないかと考えます。
新しく子どもと出会うとき、その子についての外部からの情報も耳に入れないようにしていました。(病気については事前の知識が必要)
一週間がたってから、自分の見た子どもと他の情報とを比べてみます。
その違いはどこからくるのかを考えて観察します。
子どもに寄り添うことから、先生も子ども共に育つ教育が始まります。


私はベテランとは呼ばれたくなかったです。
「なれる」という意味あいがあるからです。
教育は、その指導に慣れてしまうことが怖いです。
難しいことですが、「初心を忘れない」ようにします。
先生は止まることなく、滞ることなく、前に進むしかないと思います。
それが子どもを感化する道です。
とりとめのない話になってしまいました。

×

非ログインユーザーとして返信する