教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

育随想 409回  授業を通して 子どもから宿題をもらう先生の営み

授業は、先生の人生観そのものです。
授業は、子どもたちを育てようという情熱です。
授業は、子どもたちに体当たりすることです。
授業は、技術の巧みさ、経験に関係なく全力を尽くすべきものです。
授業は、子ども一人一人を少しでも人間的に成長させようとする試みです。(育てる)
授業は、常に、子どもを立派に伸ばそうと、心を砕き深みのあるものにすることです。


そのような先生のもとで子どもたちは


自分の人生に必要な知識や技能の習得に全力を傾けます。
努力することのおもしろさを味わいます。
粘り強く学ぶことの楽しさを経験します。
学習することのルールやマナーの厳しさを身につけます。
まわりの友だちと協力して学ぶことの意義を理解します。
さらに、子どもたちは、切磋琢磨を通して、自分を律する(自立から自律へ)体験をします。


授業を通して、知識教養を高めるだけではありません。
人間として必要な資質を育て、自分を向上させていきます。


しかも、授業を通して
先生と子どもが心を通じ合わせていきます。
きわめて人間的なふれあい、いや、ぶつかり合いなのです。
子どもと先生が、人間として成長していける 最も長い時間が授業です。


一週間の授業時数は30時間程度です。
その時間は、子どもと先生とのぶつかり合いなのです。
私は、日々、子どもと対決するつもりで教室のドアを開けました。
そして、いつも、対決に敗れて教室を出ました。
「どこがだめだったのか」
「どうして、子どもの学びの流れを変えられなかったのか。」
「最後まで、あの子を明るくすることができなかったのが情けない。」
「次は学びの道を修正しよう。」
「そうか、子どもたちの発想はそこにあったのか、予想外だ。」


こうして、教室に入る時よりも退出するときに子どもたちから多くの宿題をもらいました。
教室に手ぶらで入ると、授業が終わっても手ぶらで出てきます。