教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 406回  「教える」ことの曖昧さ 何を どのように どこまで

前回に、学校が「教える」に偏っているとお話しました。
しかし、「教える」ことは、文化財の伝達の上ではとても重要なことです。
先人たちが積み上げてきた知識や技術を教えることで伝えていきます。
「教える」と「習得する」 学校の教育活動において大切なことは言うまでもありません。
伝えるために、視聴覚教材、教科書、文献を活用します。


しかしながら、すべての子どもたちが完全に習得できるわけではありません。
それぞれの能力の枠組みのなかでしか身に付きません。
同時に、教える先生の指導力にかかっています。
広く深い教材研究、それを伝える授業技術を研究することも必要です。
そのための職員研修も行われているはずなのです。


教えるためには、学習環境を整えることも必要です。
たとえば、今頃、各学校の学習園を見てください。
夏に植え付けをした植物の姿があるでしょうか。
ある学校では、ヒョウタンを植えたけど枯れたので処分しました。
また、ある学校では、ヒョウタンが褐色になり豊かな種を実らせています。


「秋を探そう」で「植えた植物は秋になるとどうなっていますか」という課題に応えることができません。
発芽、茎や葉の成長、開花、そして、最も大切な実りの過程を教えてこそ、「命の教育」の一端を担うことができます。


子どもたちの学力差が問われています。
しかし、先生の指導力の差は問われません。
先生の指導力の差は、能力差ではなく、研究意欲差です。


医学において、患者の病気を診察するときに、医者の能力は評判として、結果として問われます。
医学においては、病気が治る、治らないがはっきりしています。


学習の定着、学力は、曖昧です。
テストを実施して、その点数を見ればわかるではないかという見方もあります。
しかし、どうでしょう、そのテストをどれだけ吟味されたのでしょうか。(新年度において)
業者任せのテストのみで学習評価をしているところもあります。


教材を使って指導するとき、一番に知識として入れなければならない内容。
学び方として、教えなければならない学習技能とは。
どの学校もこの時期、理科実験の教材があります。
その時に、きちんと身につけさせる理科実験技術とは何か。


さて、教えることの研究は、学習者である子どもたちが教えてくれます。
子どもたちが先生を授業者に育ててくれます。
だから、先生の授業の師匠は目の前の子どもたちです。

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