教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 390回 指導主事の指導助言「先生の教室はきたないです」と・・・

指導主事が学校訪問して、先生方一人ひとりの授業を参観したそうです。
全体の研修の場で、各先生方の授業や教室について指導されました。
その時の話を聞きました。


そのなかで、印象的だったことを紹介します・
10年目の先に対して、主事の先生が言われたこと。
教室がきたないです」と言われました。
授業について話されるのではなく、ダイレクトに「きたない」と言われたのです。
言われた先生も職員の前で言われたことはシヨックだったでしょう。
主事も個別に指導すればよいのであって、全体の場で指摘することではありません。


私が問題にしたいことは、主事に指摘されるまでもなく、以前からわかっていたことです。
教室が片づけられていないこともあります。
しかし、学びの場の環境を整えることは大切です。


先生の教卓の周りは整理されているとは言えません。
病院に行ったとき、待合室や診察室が汚れていたらどうでしょうか。
私が通っている医者の診察室は、先生の机の本が横倒しになっていました。
ところが、ある日から、急にまっすぐと立てられるようになりました。
患者としては、なんとなく心地良いものです。
レストラン、ショッピンクセンターの環境もしかりですね。


私は、主事の話で、疑問に思うことがあります。
担任の教室が汚いということについて、管理職は知らなかったのでしょうか。
主事は、担任の先生だけでなく、管理職に間接的に指摘したのでしょうか。


管理職は、毎日とまでは言いませんが、教室を巡視すべきです。
自分の管理する職場なのですから当然です。
同じ学年の先生は気づかれなかったのでしょうか。
気付いていても黙認してきたのでしょうか。


本来、職員研修は、切磋琢磨すべき場所です。
それが、お互いに生ぬるくなってきたように思います。
対話のある学び」という学校教育の目標が上がっています。
それが最も必要なのは、先生方、職員間ですね。


子どもたちを迎える環境づくりを考えるのは、子どもたちを育てる原点です。


結論として言います。
主事が一人の先生の教室を「きたない」と言われたことは、職員全体の責任ではないかと思います。
いや、やはり、個人的な問題ですよという意見もあるでしょう。
しかし、学校は、教室を一つの店に例えると、その集まりである学校は「商店街」です。
商店街の一つの店の環境が整っていないと、他の店にも影響します。
商店街全体の問題です。


個々の職員の悩み、問題点は、学校全体の悩みであり問題でもあるはずです。
学校の先生の集まりは、同僚?仲間?あるいは同志、どれですか。
ある市で起こった職員のいじめ事件がありました。
周りの職員が黙認した結果だとも考えられます。
対話的学びのある学校ではないように思えます。

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