教育随想391回 係活動は先生の下請けではない 原点に戻る
係活動は、子供たちにとって楽しくてやりがいのあるものでしょうか。
子どもの主体性を大切にとは言いながら、本当にそのようにできているのでしょうか。
当たり前のこととして、先生は、このような反省を日々しています
その反省にたって、先生は何か新しい方法を考え、子供たちの前に方法を提示したり、意欲や関心を高めたりします。
なんとか係活動を活発にさせようと模索します。
そして、子供たちが、先生の意図するような活動をすると、子どもたちをほめます。
その繰り返しです。
でも、先生の意図したとおり子どもたちが活動することでいいのでしょうか。
係活動は、最終的には、子供自身の知恵と技術と意欲の結果です。
自らの生活を切り開いていくのが係活動だと考えます。
本来は、子どもたちの係活動は、先生の意図から離れていくものです。
ひとり歩きしていくものです。
それが、あるべき姿と思います。
先生の下請けの仕事ではありません。
そうなるために我々がいかに活動を支えていけばいいのでしょう。
指導のポイントについて考えてみます。
私は、係活動について、先生自らが、もう一度、疑ってゆさぶってみることが必要です。
係活等を設定する時に考えておかなければならない問題について書きます。
子供にとって必要か
子供たちは、係活動を必要と考えているのでしょうか。
低学年は、係の仕事を楽しんでやることが多いです。
係に対して新鮮さを感じたり、活動そのものに興味を感じたりしています。
しかし、高学年になるにつれて、興味がうすれ、形式的な活動が多くなります。
4月の時に、一番先に決めたがるのは係組織です。
前学年からの引き続きとして習慣的に決めていることが多いです。
だから、長続きしません。
途中で先生が指図、注意しないと活動ができなくなることが多いです。
子供たちは一年生で入学したときから、先生の指示に従って活動しています。
係の仕事をするのは、当たり前のこととして意識の中にあります。
決して係が自然発生的に生まれてきたものではありません。
先生が教育的に意図して学級の中にいれたものです。
ところが、子供の心の中には、係の組織や仕事のことはあっても、なぜ係が必要なのかという意義については、あまり考えていません。
本来は、自分たちの生活を見直すところから係の仕事が始まります。
そもそも子供にとって、係がなくても学校生活に支障がないです。
このことを係活動の原点にしてみたらどうだろうか。
係は今の子供にはいらないという事実、必要感のないものだと考える原点に立ちます。
係の仕事は、料理の香辛料のようなものに似ています。
なくてもいいが、入っているといっそうおいしく食事ができます。
生活に潤いと楽しさ、そして明るさを与えてくれます。
学校生活にゆとりを与えてくれます。
ただし、係の仕事は自分が学級の一員であるという子どもたち一人ひとりの自覚の上に立っています。
逆に、係活動を通して、子どもたちに「僕たちの学級だ」という自覚を持たせることができます。
係活動は、最初は先生によって、学級という土壌の中に種をまきます。
発芽したら、それを子供自身の手で育てていけるようにします。
いつまでも先生が育てるものではありません。
種をまいて子供から離れるようにします。
・・・・・次回に続きます。