教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 389回  授業で子どもを明るくする

「授業だけが教育ではない。先生は、授業よりも、もっと学級経営、生徒指導、道徳教育に教育の重点を置くべきである。」


確かに、子どもの人間性という観点に立てば、学級経営、生徒指導、道徳教育は重要な問題です。
新任の先生は、必ず先輩の先生方から、学級経営が大切であると教えられます。
学級経営がうまくいかないと授業もうまくいかないものだと言われます。
子どもたちをしっかり理解して、集団をまとめることが基礎であるともいわれる方もいます。


子どもたちの意欲が低下し、なんとなく学校生活をおくっている姿を作り出している根源はなんでしょうか。
一日のほとんどの時間を子どもたちは学習しています。
その一つ一つの授業が子どもたちにとって魅力あるものになっていません。
学習意欲の減少は、生活意欲の低下につながっています。


少し厳しい言い方をします。
先生が授業をおろそかにしているからです。
もちろん、そうでない先生もおられます。


授業計画において、教科書会社の指導書に初めから終わりまで頼っている先生。
授業の流し方をネット検索して、それを自分なりに咀嚼しないでそのまま実践されている先生。
授業の流し方ばかりを重視しておられる先生。
何を教えるかの学習の核を吟味されていない先生。
その教材で、教科で、どのような子どもたちを育てたいのかわからない先生。
子どもが学習内容を理解できないと、原因を子どもに求め、決して、先生自身の指導の仕方を問題にしない先生。


そのような先生の授業においては、子どもたちを学習嫌い、努力拒否、自信喪失に追いやっています。
もちろん、子どもの負の行動は、先生によるものだけではありません。
教育制度、教育環境、社会事情,家庭環境に因る者もあります。
しかし、先生は、先生の足もとから手を入れる必要があります。
教育制度、教育環境、社会事情が関わっていることは間違いありません。


私は、授業が決して上手ではありませんでした。
しかし、授業で子どもを育てたいという願いで実践してきました。
授業の始まりの子どもたちの表情が暗くても、終わりになるほど子どもたちの顔が上がり、明るくなるような授業でありたいと思い続けてきました
授業力のある先生が求められる昨今です。
授業力とは、授業において、子どもたちの表情や心を明るくすることです。
授業力とは、子どもたち同士のつながりを深めることです。(集団指導)
そのためには、どのように教えるかよりも、何を教えるかの吟味が大切です。
それを通じて、子どもたちの人間性を深くすることではないでしょうか。


まず、教材研究、そして、児童理解、そのあとに授業技術を持ってくるようにしていました。

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