教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想386回 物語文「ごんぎつね」クライマックスは最後の場面ではない

「ごんぎつね」の教材は、ごんが鉄砲で打たれて死ぬ6場面がクライマックスになっています。研究授業によく取り上げられる場面です。
しかし、それは、ごんの行動のクライマックスです。
ごんが葛藤のすえ、兵十の家の中に入るに至ったのは、5場面が心のクライマックスがあったからです。
「おれは引き合わない」というごんの気持ちを読み取る5場面は。心のクライマックスになっています。


加助と兵十の会話の中で、ごんの無償の行為を「神様のしわざ」と結論づけたことがごんにとってはショックでした。


兵十にわかってほしいためにしている償いの行動が、「神様のしわざ」に置き換えられている悲しさ、くやしさを読み取ります。
わかってほしいという気持ちは、兵十たちの後を危険を冒してついていくごんの行動に表れています。


この5場面は、4場面からの続きです。
4場面での心の高まりがわかってほしいという期待となって5場面に引き継がれます。
Step1 いどのそばにしゃがみこんでいたごんの気持ち(再確認)
Step2 兵十のかげをふみふみついていくごんの気持ち
Step3 神様にお礼を言うのでは引き合わないと思ったごんの気持ち


ここで子どもたちに考えさせることは2つです。
一つ目は、何と何がひきあわないのか、釣り合わないのかです。
天秤のように、両皿に置くものを考えさせます。


二つ目は、ごんは、どうであったら「引き合う」と思ったのかを考えさせます。
なぜ神様のしわざではだめなのかを考えさせます。
ごんは、兵十がどのように言ってくれたら引き合うと考えたのでしょうか。


私は、この場面が最も好きな所です。
ごんが人間らしくなっていくところがいいです。
「神様のしわざ」と言われたことで、ごんは、兵十に自分の気持ちをわかってほしいという強い気持ちを持ちました。
兵十への強い想いが、ごんと兵十の距離を縮めてしまいました。
そこに命を失うという悲劇が起こりました。

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